ストーカーおじさん 第4話 7月2日(火)
「いってらっしゃい」
二人が曲がり角へと消えて行くのを見届けた私は、自然と自転車のカゴに目がいった。
――あった。
私の自転車のカゴにまたしても何かがある。
昨日と同じように周りを見渡したが、今度は誰の姿も見当たらない。
カゴに近づき、中を覗く。そこにはさくらんぼがぽつんと置かれていた。一瞬作り物かと思ったが、どうやら本物のさくらんぼのようだ。
何かの拍子に私の自転車のカゴに入ったわけではなく、誰かが故意に置いて行っている。昨日の栞だけなら、留美子への誕生日プレゼントだということで納得できた。しかし、もう誕生日は二日も前のことだ。
『本当にそれ、留美子へのプレゼントなのかな』
昨日の薫の言葉を思い出す。留美子へのプレゼントではないとしたら、一体なんなの?
「佳子?」
背後から声をかけられ、びくりとする。
ずっと自転車の前で佇んでいたせいか、幸恵が心配して様子を見に来てくれたようだ。
幸恵は訝しげにさくらんぼを見ている。幸恵に話すべきだろう、私はそう判断した。
「実はこれ、自転車のカゴに入っていたんだけど」
幸恵にさくらんぼを見せる。
「また?」
「念の為に聞くけど、幸恵じゃないよね?」
「うん、ありえない。佳子んちの誰かにプレゼントするなら直接、手渡すよ」
馬鹿なことを聞いた。幸恵がそんな遠回しなことをする人間ではないことくらい、私だってよく分かっていたはず。
「誰か心当たりとかないの?」
「全然ない、と思う」
留美子の友達、その母親たちの顔を頭に思い浮かべてみたが、その誰もがこんな気味の悪い――遠回しなことをする人間ではないはず。
私はというと、もともと交友関係は狭い。木之本家を除けばほんの数人程度しか友人はいない。その友人のほとんどが今では遠くに住んでいるので、久しぶりに京都に戻って来たのなら連絡の一つくらいくれるだろう。
「嫌がらせなのかな……一度、自転車の位置を変えてみたらどうよ」
幸恵に言われて、私は自転車に顔を向ける。位置を変えろと言われてそう簡単に変えられるほど広い家ではない。場所は限られてくる。
自転車を移動させるのに適した場所……考えた末、ガレージが一番最適であろうと判断する。ガレージに置かれた車の後ろなら、自転車を置いても車で見えないだろうと。
私は幸恵に、「買い物から帰ったら、ガレージの後ろにでも移動させてみるわ」と返事をし、家に戻る。
自転車の位置を変えたくらいでどうにかなる問題ではないのだろうが、やってみるだけやってみよう。明日は留美子の自転車に何かが入っているか、はたまた何ごともなかったかのように過ごせるか。
果物売り場でさくらんぼが売られているのを見つけた私は、自転車のカゴに入っていたさくらんぼのことを考えた。
見た目からして腐っている様子はない。どこからどう見ても、ここに並べられているさくらんぼと違いはなかった。
食べても大丈夫、そう思っていても食べられなかった。どこの誰が取ってきたものか分からない。まさか毒が盛られているなんてことはないだろうが、念の為、食べないでおいている。今は冷蔵庫に入れてあるが、薫や留美子が誤って食べてしまわないかも心配だ。
頭の中のもやもやを振り払うため、私は果物売り場から離れてレジに向かう。
会計を済ませて店から出た私は、スーパーの自転車置き場で自転車に乗ろうとしている青年を見つけた。見間違いかと思ったが、昨日、書店で私におすすめの本を紹介してくれた青年とそっくりだ。
話しかけようかどうか迷っている内に今にも自転車で走り出しそうだったので、私は勇気を出して話しかけることにした。
「あの」
ペダルにかけていた足を地面に下ろし、青年がこちらを見る。間違いない、昨日の青年だ。向こうも私に気づいたのか、「あっ」と声を出した。
「き、昨日はどうも、ありがとうございました」
言いそびれていた礼を言い、頭を下げる。
「お礼なんて、別によかったのに」
青年もこのスーパーで買い物をしたのか、カゴには食材が詰め込まれたエコバッグが入っている。私の視線に気づいた青年が、エコバッグからビニール袋に包まれたものを取り出し、私に差し出した。
「よかったら、これどうぞ。買ったあとに買いすぎたかなって思っていたんで」
「そんな、申し訳ないです」
首を振って遠慮したが、「まぁまぁ」と言われ、半ば強制的にビニール袋を持たされてしまった。
「ありがとうございます。本当にすみません」
「こちらこそ、受け取ってくださってありがとうございます。また縁があればどこかで会いましょう」
青年は自転車を走らせ、私の前から去って行った。
礼を言うだけのつもりが、まさかものをもらってしまうとは。本当に世の中には親切な人がいるものだと、私は感心する。
一体、何をもらったのか。気になった私は、その場でビニール袋を開けてみた。
さくらんぼ……。
危うくビニール袋ごと手から落としそうになり、どうにか自分を落ち着かせる。
ただの偶然? それとも……。
私は家に帰ると、誰にも見られていないことを確認してから、ガレージに止めてある車の後ろに隠すように自転車を置いた。
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