線香月 第8話

七月二十五日

「ペットショップ?」
「うん」
 朝ごはんを食べて、私はお母さんにペットショップのことを聞いてみることにした。クマとのためにね。あぁ、なんて教師思いの生徒なんでしょうか。
「そうねぇ……電車に乗らないといけないけど――」
 教えてもらった一番近いペットショップの場所をメモする。
「ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
 椅子の横に置いていたカバンを取り、帽子とゴムで変身。
「夜までには戻りなさいよ」
 お母さんがそう言った。
「はーい」
「知らない人にアメちゃんもらっても、ついて行っちゃ駄目よ」
「はーい、分かっ……慧か」
 返事をしようとしたら、慧の声だってことに気付いた。
「冗談だよ。行ってらっしゃい、姉さん。僕はなっちゃんのお手伝いしてくるんだよぉ」
「そうなんだ。頑張ってね。ばいばい」
 私は笑顔でそう言ってあげて、公園に出発した。

 幸いなことに、クマはちゃんとベンチの上で特別宿題を製作中だった。神崎護衛と一緒にクマに近付く。
「今日も朝から忙しそうね」
「何だ、美月か。一瞬誰かと思ったよ。資金集め、無事終わったらしいな」
「うん。暇になったから、犬を飼うのを手伝ってあげようかと思って」
 ペットショップの場所が書いてある紙を渡す。
「こんな所にペットショップなんてあったのか」
「早速行ってみようよ」
「え、美月も同行か?」
 何その嫌そうな顔。
「クマが犬じゃなくて猫を飼わないか心配だから」
「失礼な奴だな。成績下がっても知らないぞ」
「ごめんね。クマがあまりにもイケメソだから、つい嫌味を言いたくなったの!」
「だよな! ついて来て良いぞ」
 まさに単純。悪徳商法に騙されやすい人。
「犬って、大体いくらするんだろうなぁ」
「雑種なら結構安いんじゃない?」
 詳しくは分からないけどね。
「足りない時は僕が払いますよ」
 いつからそんなに優しい人になったわけ。
「優しい彼氏で良かったな」
 クマはそう言うと、駅に向かって歩き出した。
「ただの護衛ですから」
 私と神崎護衛も後を追いかける。
「そう言えばさ、クマの奥さんってどんな人?」
「聞くのか? 聞いてしまうのか?」
 クマが振り向いてそう言った。
「き、聞いちゃ駄目なの?」
「いや、ちょっとした冗談。えっと……悪さしたらおこづかいが当分もらえなくなるような人」
 厳しい人なのかな。
「そう言えば、この前学校にも現れたんだぞ」
「そうなの?」
 奥さんのことを、怪物が現れたかのように言うクマ。相当怖いんだろうなぁ。
「僕知っているよ。蒼島の机を見るなり、いきなり掃除し始めていたよね」
「わぁ、すごく真面目。神崎護衛はちょっと怖い」
 きっと、窓から観察していたんだよ。いつ逮捕されるのやら。
「それだけじゃないぞ」
 クマが怖い顔になる。
「校長室に出向いて、一時間くらい説教していたみたいだ。廊下にゴミが落ちているとか、先生がだらしないとかな」
 お、恐ろしや。
「その奥さんの顔が見てみたい」
「今は仕事をやめて専業主婦をしているから、会いたきゃ会えば? 」
「死にたくないから、遠慮しとく」
 私は急いで言った。話題を変えよう。
「えっと、クマって子供は何人いるの?」
「二人だよ。この前学校で話したじゃん……」
 あぁ、確かおかげで授業が潰れたんだっけ。
「ん、僕も覚えているよ、その時のこと」
「私の教室、二階にあるのに!」
「僕に不可能ことはないんだ」
 気になる。ハシゴで覗くことなんて不可能よね。窓の外は足場なんてないし……。
「あぁ、たまに窓から見えていたのは君だったのか。幽霊だと思っていたよ」
 幽霊だと思っていたのに、気にしていなかったんだ。
「私が一年と二年の時はどうしていたわけ?」
 もしハシゴだったとしても、流石に三階や四階まで届くハシゴなんてないはず。
「大丈夫。蒼島の許可があるんだぜ」
「蒼島が何の許可を?」
「教室の前で授業を眺めていて良いよって」
 あほ島め……。
「そう言えば蒼島先生、俺より年下なのに、給料が俺より上なんだぜ……」
 年下に給料で負けるなんて、かわいそうに。
「ねぇ。蒼島先生はパソコン部の顧問だけど、クマって何部なわけ?」
「お、俺か?」
 え、何で考えるのよ。
「……帰宅部ってことで」
 クマのこの言葉に、神崎護衛と二人して笑ってしまった。
 そして気がつけば、私達はもう駅で電車を待っている。
「今からでも遅くないし、何かの顧問になれば?」
「そうしたいけどさ、もうどの部も取られちゃってよ」
 クマが落胆して電車に乗りこんだ。
「ん、ホストクラ部で良いんじゃね?」
「ふ、不覚にも笑ってしまったわ……」
 作った瞬間に廃部すると思う。そして、クマはそのまま退職ね。
「ホストクラ部かぁ。おもしろそうだな」
「冗談に乗っかるのは禁止よ」
「あ、電車内での会話も禁止だな」
 クマがそう言ったので、私と神崎護衛は黙ることに。

「ここで降りるのかなぁ、たぶん」
 たぶんはやめてよ。
「ん、じゃあ、降りよう」
 私達は電車から降りる。他の人は誰も降りなかった。かなり殺風景な駅ねぇ。
「こんな所に、ペットショップなんかあるのかよ」
 改札口を出ると、クマが周りを見渡しながら言った。
「あったとしても、潰れているわね、絶対」
 ここまで人通りが少ないのも珍しい。私の家の近所だって、流石に子供がはしゃいでいたり、井戸端会議が行われていたりするんだけどなぁ。たまに出くわすのは、どこかに行こうとしている親子やお年寄りだけ。
「え、ここがペットショップか?」
 カンバンに大きく「ベットショップ」って書いてあるけど、たぶんきっとペットショップ。誤字だと考えましょう。
「ん、ベッドを売りたいのかペットを売りたいのか……」
 神崎護衛はそう呟きながら入り口に移動する。
「あららぁ」
「どうしたの?」
 私とクマも入り口まで移動。扉には一枚の紙が貼ってあった。
「『ベッドショップと間違えられたため、店主が傷つき、本日をもって閉店をすることにいたしました』だってさ」
 閉店の理由がおかしいような気がする。
「ちょっとつり橋行くわ」
「だから、早まらないで! 冗談かも知れないじゃん」
 クマを元気づけるため、扉を開けようとしてみた。開きません。
「もうみんなでつり橋行こうか」
「私まで巻き込まないでよ」
 困った。ここ以外のペットショップを探さないとね。
「ん、この先にも、別のペットショップがあるみたいだよ」
「何でそんなことしっているの?」
「今聞いてきたんだ」
 向こうを歩いている老人を指差した。やっぱり役に立つわね。一家に一人はほしいところ。
「そこも閉店だったら、もう帰ろうか」
 歩き出した神崎護衛の後ろ姿を見ながら、クマがそう呟いた。
「そう悲観的にならないの」
 そう言って、私も神崎護衛の後を追う。何気に、ここからもうペットショップの看板が見えているんだけど、気にしないでおきましょう。
 私達はすぐにペットショップに着いた。
「まぁ、予想通りだから、別に悲しくもなんともねぇよ」
 またもや閉店していたペットショップ。
「『動物達が全部売れちゃったから閉店します』って……絶対に理由がおかしくない?」
「ん、きっと新しい動物を仕入れるお金がなかったんじゃないかな」
 それをわざわざ張り紙に書かなくても良いのに。
「とにかく、もう帰ろう。昼食までには帰りたいんだ」
 あらら、かなり落ち込んでいるみたい。私だって、まさか二店とも閉店しているなんて思ってもみなかったわ。
「ん、明日はもっと遠くに行ってみる?」
「閉店してないならなぁ」
 駅に向けて歩いているクマは、振り返りもしなかった。思音ちゃんに見せる顔がないね。
「なんかごめんね。お母さんに厳しく言っておくから」
 ここを教えてくれたのは、お母さんなわけだし。私のせいじゃないもーん。
「気にすんな……あれ?」
「どうしたの……あ」
 クマが気付いたのは、雨だ。もしかして、台風がついに来たの?
「傘持って来てないんだけど」
「ん、俺も」
 まったく。この二人は天気予報を見ていないの? そんなことを言う私も持っていませんけど。
「駅まで走るか」
「僕もそう思った」
「えぇ。私、走るのは苦手なんだけど……」
 私の話を聞かず、二人は走り出していた。
「人の話は最後まで聞きなさいよ!」
 そう叫んで、私は急いで追いかけた。二人の走る早さは尋常じゃない。かわいい乙女を残して勝手に走るなんて。
「ん、遅いよ、由子」
 ちょっとだけ振り返ってそう言うと、神崎護衛はまた走って行った。
「泣いてやる」

 駅に着いた頃、雨が強くなっていて、全身びしょびしょになった。やっぱり、台風かなぁ。嫌だなぁ。お祭りの日も雨だったらもっと嫌だなぁ。
「美月って、そんなに走るの遅かったか?」
「五十メートルなら九秒だけど」
「おいおい、遅いなぁ……」
女の子の中では早い方だもん。
「由子が疲れたら、僕が背負ってあげるから」
「あっそ」
 私は切符を買って改札を通ろうとした時、不意に音が聞こえた。
「今、誰かわんこそばって言った?」
「誰がそんなこと言うかよ」
 クマったら、冗談も通じないのかしらねぇ。
「正確には、『わん』って聞こえた」
 私の言葉に、クマが一気に明るくなった。
「近くにペットショップがあるかもな!」
 クマは雨の中、駅の外へと走り出そうとした。
「ん、飼い犬が吠えただけだと思うよ」
 そう言われたクマは、また落ち込む。その時、また犬の鳴き声がした。
「分かった。あれよ」
 私は、駅の入り口に立っていた駅員さんを指差す。最初はただ立っているだけかと思ったけど、手には犬を抱えている。駅員さんが飼い犬を連れて来る訳ないから、きっと捨て犬に違いないわ。
「あの、すいません」
 最後の希望を持って、クマが駅員に話しかける。
「はい、何でしょう?」
「その犬のことなんですけど」
「あなたが捨てたんですか?」
 ビンゴ。やっぱり捨て犬だったのね。
「いや、引き取り手がいないんだったら、俺が引き取ろうかなぁって思ったり思わなかったり」
「えっと……思ったり思わなかったり?」
 ここはきっちりと言いなさいよ、あほんだら。
「俺が引き取りたいんですけど」
「まぁ、そう言うならどうぞ。犬がいると迷惑ですし、もう三日もここにいるので」
 さっきは犬の存在に気付かなかったけど、寝ていたのかな。
「元飼い主さんからの手紙も入っていましたよ。くれぐれも捨てないように」
 駅員さんは、抱えていた犬をクマに渡す。ついにクマが犬をゲットした。
「ありがとうございます」
 クマが何度も何度もペコペコとお礼を言う。
「こっちもうれしいですよ。めんどうな仕事が減って」
 本音言っちゃったよ、この人。いつかクビになると思う。
「あ、そうそう。電車に乗る時は犬をケースか何かに入れて料金を支払って下さいね」
「え、何で。ケースすら持ってないし、そもそも俺、犬の分の金なんて持ってないんですけど」
 犬が苦手なのか、クマは犬が顔に近付かないように持ちながら言った。野生のクマが犬を恐れるなんてね。
「自業自得じゃないですか。徒歩で帰れば良いと思いますよ」
 駅員さんは最後にそう言うと、自分の立ち位置へと戻って行った。どうしてクビにならないのだろうか。
「ちくしょう。どうせ二人は貸してくれないだろうし……よし、このクマ様の実力を見せる時が来たようだな」
 クマはそう言い、駅員さんに土下座し始めた。記念に携帯で撮影。
「じゃあ、私達は先に公園に戻るわよ。えっと、セマイ公園って、確か屋根がある場所あったわよね。あそこで集合」
 私は改札口に切符を通す。
「もしもの時は線路を辿れば戻って来られるよ」
 神崎護衛はクマにそう言った。さて、戻って来られるのでしょうか。

「よく無事で戻って来たわね」
 セマイ公園の屋根のあるベンチで座っていると、クマがビニール傘を片手に歩いて来た。ちゃんと犬用のペットキャリーケースも調達したらしい。
「結局、土下座でお金をもらったのかな?」
 神崎護衛がクマにそう聞く。
「そうさ。このイケメソクマ様に、不可能なことはないってわけさ」
 あんなに簡単に土下座するなんてねぇ。
「とりあえず、当分の間は、犬を飼ったことがある人に教わらないと駄目だよなぁ。そうじゃないと、俺の奥さん怖いから、犬を捨てちゃうかも」
 いきなり話題を変えたよ、この人。
「その前にさ、夏雪の家で、お昼ご飯をごちそうになろうよ」
 走ったおかげで空腹です。
「ん、ねぇねぇ、その犬って雑種かな?」
 いきなりの質問でびっくり。
「たぶん雑種だろ」
 クマが、ケースを開けて確認する。その時、手紙のことを思い出したのか、手紙を取り出した。
「手紙の存在忘れていたぜ」
 あほんだら。
「『この子を捨てた者です。この子は、生まれて一年の雑種です。他にも五匹の犬がいるため、この子を捨てることにしました。身勝手なことをしてしまったと思いますが、この子を拾った方は、どうか大切に育ててあげて下さい』だってよ」
「ん、そんな理由があったのか」
 こんな風に犬を捨てた人に、『捨てるなら飼うな』って言いたい。どんな事情があったにせよ、ペットを捨てたことには変わりがないんだもん。世の中、そんなに甘くはないんだからね。
「にしても、かわいいなぁ」
 今さっき、犬が苦手ですって言ったばかりなのにねぇ。
「これなら、思音もきっと喜ぶぞ」
 これで一件落着。思音ちゃんが、犬を見た時にどんな反応をするのか楽しみ。
「ん。アイスクリームもセットであげれば、もっと喜ぶと思うよ」

「クマが犬だなんて!」
 途中で神崎護衛と別れ、私とクマは夏雪の家に直行した。夏雪は人集めをしていたんだけど、雨が降ってきたから中断したみたい。結局、金魚すくいの人を見つけられただけだったとか。いくらあげたんだろう……こんな場所のお祭りを手伝ってくれる人なんて、あまりいないと思うし……。
「……というわけなんだ。腹が減っては戦はできないし、この恩はいつか返すから、昼飯でもごちそうになれないかな」
 今までの事情を話すクマ。教師が生徒にお願いする、貴重なシーンです。
「それも良いけど、まだお昼まで時間があるし、ちょうど我が家には犬に詳しい人がいるんだ」
 な、なんですって。
「アンジェラさん、こっちに来て」
 呼ばれればすぐに現れるアンジェラさんは、今日も元気百倍。
「何か用ですか!」
「この人に、犬の飼い方を教えてあげてくれない?」
「了解しま……えぇ、このおっさんにですかぁ?」
 少しの沈黙。
「さてと。俺、家に帰ろうかな」
 かなりショックだったらしい。
「こら、アンジェラさん。ここは我慢しないと失礼だろ」
「すいませぇん。日本では、十八歳からおっさん、おばさんだと思っておりました」
 一体どう考えたらそうなるの。アンジェラさんもおばさんってことになるじゃない。
「あ、ちなみに私は永遠の十歳ですよぉ」
 年齢詐称にもほどがありますよぉ。
「この人で大丈夫なのか?」
「何でもできるって言っていたから、きっと大丈夫」
 一人で盛り上がっているアンジェラさんを見る二人。
「さぁ、早速そのわんわんの飼い方を教えまーす。名前は?」
「名前だと?」
「はい、名前です。ポチですかぁ? ハチですかぁ?」
 クマは少し考え込んだ後、何かひらめいたのか、顔をあげた。
「熊太郎で良いよな!」
 一瞬にして周りが静かになる。熊太郎って……。
「熊太郎じゃ駄目か?」
「い、良いと思うよ。すごく似合っているよ、この犬に」
 やっぱり夏雪は嘘が下手だ。
「で、では、熊太郎をまずきれいにしてあげましょうねぇ……」
「なら、僕はご飯の準備でもしているよ」
 夏雪は逃げ、私達はアンジェラさんに案内されて屋敷の奥深くへと歩いて行く。着いた場所はお風呂場。
「まずはお風呂でゴシゴシですよねぇ」
 毎日どうやってお風呂に入っているんだろう。広くてのんびりできそうだけど、辿り着くまでが遠い。
「さぁ、熊太郎をお貸しください。見本をお見せしますよ」
 クマから熊太郎を受け取ったアンジェラさん。でも、いきなり起こされてびっくりしたのか、吠えはじめた。
「熊太郎がアンジェラに攻撃しています! お助け下さいー」
 アンジェラさんの腕から犬が飛び出して、アンジェラさんを追いかけまわしている。あれ、どこかで見た光景ね。前は猫だったかしら。
「おいおい、本当にこの人で大丈夫なのか?」
 大笑いしながら、クマはそう言った。
「大丈夫じゃないと思う」
 夏雪のバーカ。
「アンジェラさん、まずはシャワーで体を洗って、犬用シャンプーでゴシゴシやるのよ。あ、犬用シャンプーはちゃんとある?」
 私がそう言うと、アンジェラさんはビクビクしながらシャワーを犬に噴射。犬はそれにびっくりしてうずくまった。これでオッケー。そもそも、ここのお風呂場がこんなに広くなければ、すごく簡単なのに。私の家の一階くらい広い。
「おいおい、美月の方が詳しいぞ」
「猫を飼っているからね」
「猫用と間違えて、犬用シャンプーを買っておいてよかったです」
 アンジェラさんが、シャンプーでゴシゴシと犬を洗う。
「慣れたいし、俺も手伝うわ」
 クマも手伝うことに。熊太郎はすっかり大人しくなったわね。
「最後はシャワーで洗い流す。適当にタオルでふいてあげたら、後は乾くと思う」
 私のアドバイスのおかげで、熊太郎はすっかりきれいになった。それがうれしかったのか、またお風呂場で走り回る。
「こいつ、俺の家を壊しそうだなぁ」
「しつければ大丈夫ですよー。ご主人様は誰なのか、体で覚えさせましょう。ぐふふふふ」
 不気味な笑い方をするアンジェラさん。怖い。
「お手とかするかな。熊太郎、お手」
 クマはお手をさせようとしたけど、賢すぎる熊太郎は、顔面にキックをお見舞い。それに怒ったクマと一緒に、お風呂場で走り回っていた。ここって、本当にお風呂場よね?

「今日はありがとな、二人とも。美月も一応ありがとな」
「い、一応って……」
 犬の餌やお風呂の入れ方、しつけ方をしっかり頭に叩き込んだはずのクマ。ついにお別れの時間。ちなみに後少しで夕食の時間。今日のお昼ご飯はおいしかったなぁ。夏雪の手作りハンバーグ。
「これから思音ちゃんを驚かせに行くの?」
「うん。熊太郎が寝ている間に終わらせたいぜ」
 疲れ果てたクマと熊太郎。頑張ったもんねぇ。
「クマ、八月から屋台作りがあるんだったよね? 空とマッキーが、暇な時に手伝うって言っていたよ」
 帰ろうとしたクマに、夏雪がそう言った。
「そうか、ありがたいな。朱魏も手伝ってくれるのか?」
「僕は他にやることがあるからね」
 私も暇な時に手伝おうかなぁ。でも、めんどうかも。夏祭りの日が雨にならないよう、祈っておくことにします。
「じゃあ、帰るな。あぁ、緊張する」
 クマは犬の入ったダンボール箱を、必死に抱えながら帰って行った。
「アディオスでーす」
 アンジェラさんがそれを見送る。
「姉さん、心配だから尾行しちゃって」
「私って、何で尾行とか頼まれやすいんだろう……」
「適役なんだもん。行ってらっしゃい」
 しょうがなく、クマの後を静かに追いかける。どうやら、クマは家じゃなくて、公園に行くみたい。思音ちゃんの大好きなヒロイ公園。どんどんと公園に近付くにつれ、クマの足取りが重くなる。緊張しているんだ。
 途中でアイスクリームを購入したクマ。ついに思音ちゃんが見えた時には、クマはロボットみたいに堅くなっていた。緊張しすぎです。
「よ、よぉ、思音」
 思音ちゃんは声を聞くと同時に、クマの方をにらむ。
「に、にらむなって、おい」
「お父さんなんてだーいっきらい」
 勉強道具をしまって家に帰ろうとする思音ちゃんを、クマが必死に止める。
「約束を守ろうと思ってさ。ほ、ほら、犬がほしいって言っていただろ?」
 それを聞いて、ピタリと足を止めた。
「犬、飼ってくれたのかお?」
「おう、そうだ。太っ腹だろ?」
 思音ちゃんに近付いて、ケース開けた。たぶん、熊太郎はスヤスヤと眠っているはず。
「きゃあ、かわいいお」
 小さな声で思音ちゃんは喜ぶ。
「お父さんと仲直りしてくれるか?」
「してあげても良いけど、そのアイスちょうだい」
「ったく、わがままめ」
 クマは持っていたアイスクリームを思音ちゃんに渡す。
「仲直りしたお。でも、もう一つだけ頼みごとがあるの」
「なんだ?」
 思音ちゃんは顔が赤くなる。
「休日くらい、家にいてほしいお」
「え、だって、お母さんが厳しいから……」
「お母さんだって、本当は一人で寂しそうだお。私に弟を任せて、一人で実家に帰っちゃうことがあるくらいにね」
 思音ちゃんが、私よりも年上に思えてきた。私が思音ちゃんくらいの時は、お恥ずかしいことに、意味不明な言葉を言いまくっていたそうです。
「しょうがないなぁ。お母さんと仲良くしろってことか」
「うん」
「……分かった」
「わーい。流石クマ様だお」
 ついに、娘にまでクマって呼ばれちゃっているし。
「今日はお父さんのおごりだ。家族みんなで何か食べに行こう」
 かっこよくそう言うも、財布の中身を確認した後、クマの顔は青ざめた。
「見直したお。楽しみだおー」
「やっぱり家で何か食べようか?」
「それは絶対に許さないお」
「は、はい……」
 ほほえましい。もう尾行する必要はなさそう。このことは夏雪にメールで連絡して、私は家に帰るとしましょうかね。