線香月 第5話
七月二十二日
「明日のお昼の三時からね。分かった」
『姉さん、寝坊しないでよ?』
「お黙り」
電話を切って、出かける準備をする。明日、また募金活動をするらしいんだけど、そのことを時真に伝えてほしいとのこと。夏雪と夜桜は、時真とメールアドレスの交換してないんだってさ。家の住所を教えてもらったし、元気良く出発。
「行ってきまーす」
扉を開け、太陽がギラギラと光る中、メモを頼りに歩いて行く。夜桜のアパートの前を通ってからが分からない。そもそも、住所だけじゃあ、家が見つかるはずがないじゃないですか。そんな重要なことに、今更気付くなんて……。
「ねぇ、ストーカー。ここに行きたいんだけど」
電柱に隠れているストーカーを呼ぶ。
「ん、たぶん、こっちかな」
やっぱりストーカーは頼りになる。すぐに時真の家を見つけた。『時真』って書いてあるんだから、時真の家だってことは間違いない。
「ありがとう」
私がお礼を言うと、ストーカーはすぐに電柱の後ろに消えて行った。私はインターホンを鳴らす。
『はい、どちら様でしょうか?』
お母様らしき人が応答してくれた。
「牧人の友達です」
そう言うと、お母様は扉を開けてくれる。
「ごめんなさいね。今ちょうど、別のお友達の家に行ったところなの」
えぇ、ここまで歩いたのに。
「夜桜空君って子なんだけど、ここから家も近いし、急ぎの用があるならその子に家に行ってもらえるかしら? 家は分かる?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
私は笑顔でそう言い、時真の家を後にした。
ここまで必死に歩いて来たのに、夜桜のアパートまで戻らないと駄目なのね……。
「ん、夜桜の家の行き方は分かるの?」
「親友なんだから、当然でしょ」
「えぇ、そっかぁ」
ショックを受けたストーカーは、アパートに着くまでまったく姿を現さなかった。
『はーい、どちら様?』
あ、この前のお姉さんの声だ。
「空の友達です」
『由ちゃん? 待ってねぇ、今開けるから』
お姉さんは出て来るなり、家に入れてくれた。
「アドバイスのこと、覚えている?」
「へ?」
誰もいない部屋の中。座布団の上に正座する私。
「直接見せた方が早いわね」
お姉さんが取り出したのは、とある一冊の本。
「『片思いの女の子を振り向かせる方法』って……何ですか、それ」
「少し前に、空の部屋で見つけたんだけど、こっそり盗んでおいたの」
まさか、怖い顔で、何事にも動じないあの夜桜が、恋……。
「でね、もしアプローチされているなら、空は彼氏にしない方が良いってことを言いたかったの」
「大丈夫です。いつも怖い顔しかしていませんから」
「なら良いんだけどね」
うぅ、あの怖い夜桜は、一体誰に片思いをしているんだろう。気になって宿題のやる気が下がっちゃうよぉ。
「気になるよねぇ? あたしも気になるぅ」
弟のことがよっぽど気になってしょうがないらしい。
「と言うわけで、由ちゃんはこれから暇な時に、空を見張ってほしいの」
「わ、私が?」
「他に誰がいるのよ。あたしは子供の世話で忙しいの」
「え、でも子供がいるようには見えませんけど」
私は部屋の周りを見回してそう言う。
「結婚しているんだから、別の家を持っているのよ」
つまり、我が家に子供を置いて来たんですね。
「頼んだわよ。成功したら、報酬をあげるから」
「べ、別にいらないですよ」
もらえるならほしいけど。
「あらそう。タダ働きしてくれるのね! よろしくぅ」
「えぇ、何でそうなるんですか!」
私がどんなに言っても聞く耳を持たないお姉さん。タダ働きするくらいなら、最初からやりますって言えば良かったよぉ。
「何か分かった時のために、アドレス交換しましょう」
「あ、はい」
もう私に拒否権はなさそう。
「あ、ちなみに、あたしは蜜子(みつこ)。ミツコお姉さんって呼んでよね」
「分かりました」
呼び方まで勝手に決められちゃった。
「これでオッケー」
「あの、私時真を探しに来たんですけど」
「あら、そうだったの? それならそうと早く言いなさいよ」
言うタイミングがまったく分からなかった。
「マッキーなら、空はいないって言ったら、少し待ってから帰ったわよ」
「帰ったんですか……しかもマッキーって……」
いつから時真はマッキーが愛称になったの。
「うぅ、行ったり来たりめんどう」
「そんなに行ったり来たりしているの? ま、頑張りなさい。若い内は、体をいっぱい動かさないとね」
私はミツコお姉さんになぐさめてもらい、アパートを後にした。なぜかさっきの本も私に貸してくれた。夜桜にばれない内に返さないと。とりあえず、この本はカバンの奥底に隠しましょう。
時真の家の前。もし時真がいなかったら帰る。誰が何と言おうと帰るもんね。
『はい、どちら様でしょうか?』
「何度もごめんなさい。牧人の友達です」
『あぁ、さっきの子ね』
さっきと変らぬ様子で出て来てくれたお母様。
「牧人ったら、あなたが出て行った後に一度帰って来たんだけど……」
「ま、またどっか行ったんですね……」
「えぇ。たぶん、病院に行ったと思うんだけど」
また病院? 昨日も病院に行っていたよね。
「じゃあ、とりあえず病院に行ってみます」
私はまた移動することに。そろそろ体力的にも精神的にも限界です。
「や、やっと見つけた……」
時真は、病院内の長いすでマンガを読んでいた。
「えっ、何で息切れしてんの?」
「だって、時真に伝えないといけないことがあるのに、なかなか見つからなかったんだもん」
「携帯は?」
けい、携帯ですって……。
「あぁ!」
私としたことが、携帯の存在を忘れていたなんて!
「お、落ち込みすぎだろ」
時真が苦笑いする。
「ちょっとつり橋に行って来る」
「えぇ?」
「身投げしてやるー」
私は病院から出ようとする。
「どこの馬鹿がそんなことするんだよ」
「病院内ではお静かに!」
看護婦さんにそう言われ、私達は静かになった。
「で、何だ?」
私は時真の隣に座る。ふぅ、疲れた。
「何だっけ?」
落ち着いたら肝心なことを忘れちゃった。
「重要なことを忘れないでくれ」
物忘れが激しいんだから、しょうがない。
「思い出した。明日のお昼の三時に、昨日と同じ場所で集合ね。募金活動するんだってさ」
「まさか、それだけ?」
「うん」
少しの沈黙。
「あ、そろそろ馬鹿を迎えに行かなと」
「馬鹿って、妹さん?」
「何で妹いるって知ってんの?」
大変。こっそり立ち聞きしていたことがばれてしまう。
「き、気にしないで」
「怪しいな」
そう言って、時真は歩き出した。一応ばれずに済んだみたい。
「美月はもう帰って良いんだぞ?」
「ここまで来たのに、すぐ帰るなんて嫌だよ」
「携帯の存在を忘れるから悪いんだろ……」
時真がぼそりとそう呟いた。
「あはは。今、何か言った?」
「いえ、何も言っておりません!」
そんなやり取りをしている間に、あの時見た妹さんが立っているのが見えて来た。
「ごめん、待たせたか?」
「一分も遅刻している。ひどいよ」
一分の差も許さないなんて、恐ろしや。
「一緒に来てやっているのは誰だと……」
時真がそう言おうとした時、妹さんが私に気付いた。
「初めまして、妹ちゃん」
「は、初めまして……」
時真の後ろに隠れる妹ちゃん。
「ごめん。こいつ馬鹿だから」
「人見知りってこと?」
「俺は知らね。とにかく、それをどうにかするためにカウンセリングに通っているんだが、効果がまったくないんだよなぁ」
ほうほう。
「やぁ、牧人君」
後ろから、誰かが時真に声をかけた。
「あ、どうも」
話しかけて来たのは、白衣を着た男の人。
「この人は夏雪の親父さんだよ、美月」
何だぁ、想像していたより普通。誰よ、イケメンだって言ったの。バレンタインの日にチョコが百個もらえる程度の顔じゃない。
「昨日夏雪に、『牧人って、どこか悪いの?』と聞かれたんだ。勘違いだと言っておいたよ」
「夏雪が?」
「ごめんね。昨日、時真の後を追ったら病院に入って行ったんだもん」
妹のためだとは知らなかった。
「なるほどなぁ。俺はただの風邪だけど、まさか心配してくれたのか?」
「さぁ?」
「仲良しさんだね。それじゃあ、私はもう行くよ」
朱魏さんは笑顔でそう言うと、去って行った。
「イケメンだね」
流石は家を何軒も持っているだけはある。
「え、美月のタイプ?」
「いや、お母さんのタイプだと思う」
「なんだ、びびらせるなよ」
びびらせた覚えはないわよ。
「じゃあ、俺はもう帰るぜ。明日の三時だな」
「うん」
時真は妹さんと一緒に帰って行った。今度会ったら、妹さんの名前くらい聞こうかな。さて、私もさっさと帰りましょうかね。
これは偶然だと思った方が良いのかな、それとも必然なのかな。
家に帰る途中、私は夜桜が歩いているのを見つけた。これはチャンス。夜桜の恋の真相を確かめるために、尾行よ。
夜桜が最初に入ったのは、とあるゲーム屋さん。ここは慧も愛用している場所。安いからお財布に優しいとかどうとか。とりあえず、ばれないよう慎重に尾行することに。
「あれ、姉さ――」
「お黙り!」
急いで静かにそう言う。慧の登場を頭に入れておくべきでした。
「どうしたの?」
慧が小さい声で言う。
「尾行中」
「姉さんって、いつからそんな仕事するように?」
「あんたは黙っていなさい」
その時、夜桜が手にゲームソフトを持ってレジに向かった。今日はゲームを買うだけで終わりかな。
「変なの」
慧の言葉を無視して、お店から出て行く夜桜を追う。
「わ、待って」
慧も静かに追って来た。
「あんたが遅いのよ」
ゲーム屋さんから五分くらい歩くと、ぴかさんの家のたこ焼き屋さんに着く。夜桜はそのお店の隣、つまりぴかさんのご自宅へと入って行った。
「え、まさか……恋の相手はぴかさん?」
「何の話だよぉ」
「後で教えてあげるから」
夜桜は、以外にもすぐに出て来た。あれ、さっき買ったゲームソフトの入った袋がなくなっている。もしや、ぴかさんにプレゼント?
「あ、そうだ」
私はミツコお姉さんが渡してくれた、例の本をカバンから取り出した。
「『片思いの女の子を振り向かせる方法』って何?」
「夜桜の部屋で見つけたらしいの」
飛ばし読みしていると、考えていた方法が書いてあった。
「ほら、見て。『女の子へのプレゼントで振り向かせよう』だってさ」
慧にページを開いて見せると、納得したようにうなずく。
「なるほど」
「何がなるほどだって?」
「ぎゃあ!」
私と慧は、二人して叫んでしまった。夜桜がいきなり現れたんだもん。
「人の顔を見て悲鳴っておい……」
夜桜の顔、怖いよぉ。
「ごめんね。まさか本人が現れるなんて、思っていなかったから」
「本人?」
「な、何でもないよ。で、ぴかさんの家で何していたの?」
急いで話題を変える。
「買ったゲームを渡しただけ」
そう聞いて、私は夜桜に見えないようにさっきの本を読んだ。『プレゼントを渡したら、すぐにその場を立ち去ろう』だってさ。ぴかさんなのね。恋の相手は、ぴかさんなのね!
「姉さん、顔が気持ち悪いよ」
「これは、何か企んでいる顔だな」
夜桜に見透かされてしまった。
「えぇ、そんなことないってば」
早くこのことをミツコお姉さんに伝えないと。
「何? 早く帰っておやつを食べたいのね? ごめん、夜桜。慧が帰りたいって言うから、もう帰るね」
「え、僕そんなこと――」
「帰りたいんだよね?」
「はい」
素直でよろしい。
「そうか。じゃあ、また明日の三時。今度は遅れるなよ」
「はーい」
夜桜から見えない場所まで離れて、私は携帯を取り出した。
「と言うわけなんですよ、ミツコお姉さん」
さっきのことを話す。
『やっぱりねぇ。で、そのぴかさんって子は、どんな子?』
「親はたこ焼き屋さんを経営していて、元気で優しい女の子です」
慧はぴかさんのたこ焼きをおいしそうに食べていた。時真からもらったってことはめんどうだから言ってない。
『ほうほう。一度会ってみたいわね。とりあえず、報告ありがとう。またよろしくねぇ』
電話が切れた。
「まだ尾行続けるの?」
「だって、頼まれちゃったんだもん」
夜桜のお姉さんだし、もしかすると夜桜以上に怖いかもしれない。断りたくない。絶対死にたくない。
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