線香月 第4話

七月二十一日

 薄らと目を開けると、窓から光が差し込んでいた。そして、目覚まし時計が鳴っている事に気付いた。時刻は六時二十分。まったく。何でこんな時間に目覚ましなんか……。
「あぁ!」
 私は布団から飛び起きた。今日、募金活動するんだった!
「もう、どうして起こしてくれ――」
 慧は学校に行っているんだったぁ。落ち着くのよ、私。まずは顔を洗って、歯を磨く。これで少しは落ち着いたはず。
「あら、由子。さっきあなたの携帯に夜桜君から電話がかかっていたけど、もしかしてこんな時間から募金活動?」
 携帯を一階に置き忘れていた結果がこれね!
「うん。すぐに行かないと、殺されちゃう。行ってきます」
「ちょっと、まさかパジャマで行くつもり?」
「あぁ、着替えないと」
 急いで部屋に戻って着替えて来る。そして、募金箱をしっかりとかかえ、玄関から飛び出した。と同時に、セミの声が耳に押し寄せる。やめて、セミさん。寝坊したことを責めないで!
「遅れてごめん!」
 夏雪と時真が、立って待っていた。時真ったら、こんな時だけ遅刻しないんだから。夜桜に関しては、ベンチで横になって寝ております。
「遅い。姉さんが遅れてどうするのさ」
「面目ない」
「俺が遅刻しなかったから、きっと何かあるって思っていたぜ」
 時真が一人で笑っている。これは屈辱だわ。
「何だ、やっと来たのか、由」
「ごめんね。携帯が一階にあったから」
 言い訳にしか聞こえないか。
「とにかく、セマイ公園の近くは、この近所で一番人通りがある場所だ。僕達はそれを狙うってわけ」
「違うグループの奴らは、駅の近くを狙うらしいぞ」
 まだ起き上がろうとしない夜桜。
「じゃあ、急いで準備しようよ」
 私達は夜桜を無理やり起こし、公園から少し離れた場所に陣取った。募金箱は私が持つことに。私は声が小さいから、こんなことしかできないのよ。
「夏祭りの資金を集めています。募金よろしくお願いします」
 通りがかる人々に声をかけていくみんな。お金を入れてくれた人には、私がお礼を言った。ストーカーが十回くらい前を通ったのは気のせいでしょう。
「ありがとうございます」
 それでもなかなか貯まらず、結局十時には暑さのせいでみんなノックアウトしてしまった。
「ちょっと、まだ千円じゃないの」
 箱を開けて数えた私。こんなに暑いのに、ずっと外にいるなんてぇ。死んじゃう。
「はぁ、確かに疲れた。のどが痛いよ、溶けちゃうよ」
「同感」
 夏雪と夜桜は、もうへとへとらしい。時真は、もう汗と鼻水の区別がつかなくなっている。
「後少しくらい頑張れるんじゃね。俺はもうすぐ帰らないといけないけど」
「それなら、あんたは帰ったら? 風邪の人が熱中症になったら大変じゃない」
「言ったな! よし。じゃあ、俺は帰る!」
 健全そうに小走りで去って行く時真。
「心配だから、姉さん付いて行ってあげたら?」
 何をおっしゃるうさぎさん。どう考えても健康ですよ、あれ。
「とっとと行け。明日、あいつの亡きがらを見る羽目になったらどうする」
 それは嫌です。
「はいはい、分かりました」
 私は募金箱を夏雪に渡して、時真の後を追いかけ始めた。
 時真の姿が見えてから、ふと思う。こっちって、夜桜の家とは逆方向だよね。近いって言っていたから、同じ方向のはずなんだけどなぁ。とりあえず、話しかけてみようっと。
「おーい時――」
「遅いよ、兄(にい)」
 あれは……時真の妹さん? 知らなかった。妹なんていたんだ。
「ごめん。募金活動が案外楽しかったから」
「妹のことをまず心配してほしいなぁ」
 何の話をしているんでしょうか、あの二人。気になるから、このまま盗み聞きさせてもらいましょう。
「不登校はそんなこと言う権利ねーよ」
 あら、妹さんって不登校なのね。
「あっそ。じゃあ、とっとと行こう、兄」
 妹さん、ちょっと怖い。
「冷たい奴」
 今更気付いた。時真達が今立っているのは、病院の前だ。風邪がひどくなったから、お薬でももらうのかな。よーし。このことを二人に報告しちゃえ。

「募金よろしーくでーす。そこのカツラしていそうなおじさま、募金して下さいー」
 戻ってみると、なぜかアンジェラさんがメイド服で募金活動を手伝っていた。しかも、人だかりができています。
「おぉ、お金ありがとうでーす。世の中金ですよ。金、金、金!」
 ちょ、ちょっと変わった人だ、やっぱり。
「お前、こいつに変な日本語教えたんじゃねぇだろうな」
「いや、ドラマの見過ぎだと思う」
 夜桜と夏雪は、まったく仕事がなくなったみたい。
「ただいま。ねぇ、これどうなっているの?」
 二人に駆け寄る。
「おかえり。流石に疲れたから、アンジェラさんを呼んだんだけど……こうなっちゃった」
 よく分からないけど、ドントマインドです。
「それで、時真は熱中症でダウンせずに帰れたか?」
「いやぁ、それが……」
 さっき見た光景を二人に話す。
「病院に? どこが具合でも悪いのかな、牧人」
「風邪をこじらせたか、熱中症になったかだな」
「おもしろそうだから、お父さんに聞いておくよ。時真について」
 お父さんに聞く?
「あれ、言ったことなかったっけ? 僕のお父さんは医者だって」
 し、知らない。見たこともないし、聞いたこともない。
「お前の家って、なんか天才多いよな」
 小説家、医者、イタズラ。もう次は何が現れても驚かない。
「ってことは、カツラのおじさんがお父様なの?」
 お母さんが、『この前病院に行ったんだけど、そこの医者がカツラで笑っちゃったわよぉ』って言っていたんだけど。
「それは要一(よういち)さんだよ。僕のお父さんはもっとイケ……」
 今イケメンって言おうとした、絶対に。
「あれ、募金活動は?」
 いきなりそう言われてびっくりした。後ろを振り向くと、蒼島先生がいる。
「後ろに立っちゃ駄目って法律、知らないの?」
「うん、知らない」
 流石に先生には通じないかぁ。
「姉さんって、法律ネタ多いよね」
 慧が言っているのを真似しているだけだもん。
「今いくらぐらい?」
「一万円くらいですよぉ」
 アンジェラさんが私達の方に戻って来た。一人でそんなに集められるんだ、すごい。もうアンジェラさんがやれば良いのに。
「他のグループは五千円くらいだったよ。君達、すごいね」
「あはは。私達が集めたわけじゃないけど」
「とにかく、後は頑張って。僕は帰るね」
「え?」
 私達は同時にそう言った。
「うん? どうかした?」
「私達のこと、手伝ってくれないの?」
「パソコンしたいんだけど」
 私は家に帰って寝たいんだけど。
「手伝わなきゃ……駄目?」
「駄目に決まっているでしょ」
 アンジェラさんから募金箱を受け取って、蒼島先生に持たせた。
「はい、よろしく」
 最初は嫌がっていたけど、渋々手伝ってくれることに。アンジェラさんは、のどがかわいた私達に水を届けてくれた。
「お水、飲みたいですかぁ?」
「うん、飲みたい」
 アンジェラさんが持って来たお水を受け取ろうとする。
「じゃあ、『どうもありがとうございます、ご主人様』とおっしゃって下さいよぉ」
「何で!」
 やらせるなら夏雪にやらせてよ。
「冗談です。ささ、どうぞぉ」
「それと同じことを、夏雪にも言ってね」
 ありがたくお水をいただく。
「やめてくれよ、ひどいなぁ」
「だっておもしろそうなんだもん」
「お前等、しゃべってないで手伝え」
 夜桜に怒られて黙る。夜桜本人が、まったく手伝ってないくせにぃ。
「そろそろお昼だ。もう帰りたいなぁ」
「先生がそんなに早くギブアップして良いの?」
そう言う私も、そろそろ帰りたい。暑いし、汗びっしょりだし。シャワー浴びたいよぉ。
「実は、ぶる太に昼ごはんを……」
「え、子供がいるの?」
 子供がいるなら話は別だけど。あれ、結婚してないんじゃなかったっけ。
「犬だよ」
 犬かい! 名前的に、ブルドッグかな。
「じゃあ、帰っちゃ駄目」
「姉さん、犬が餓死したらどうするんだい?」
「ま、まぁ、確かに」
 動物に関しては厳しい夏雪でした。
「ありがとう。また見かけたら手伝うね」
 風のように走り去って行った蒼島先生。逃げ足が速いだけ。
「あ、じゃあ私も帰って良い?」
「うん。僕も帰るよ」
「俺も」
 暑さに負けて、全員一致の解散。アンジェラさんと見物客はとてもつまらなさそう。あんなに暑そうなメイド服で、よくここまで頑張れるよね。尊敬します。
 そうだ。慧のためにぴかさんのお店でたこ焼き買って帰ろうっと。募金箱に入ったお金を使おうなんて考えていませんからね。
「たこ焼き六個下さい」
 お店では、ぴかさんのお母さんが働いている。
「あら、由子ちゃん? 募金活動しているんやってねぇ。お疲れさん」
 おぉ、二個もおまけしてくれた。ラッキー。暑さに負けなくて良かったぁ。
「ありがとうございます」
 代金を渡し、たこ焼きを受け取った。これで両手がふさがっちゃった。
「たこ焼きの屋台はどうされるんですか?」
「あぁ、それね。お金ががっぽりもらえるかもしれへんし、承諾してん」
「慧が喜ぶと思います。商売、頑張って下さいね」
 相変わらず、ここのお母様は元気いっぱいだなぁ。

「うわぁ、姉さんの割には、気が利くねぇ」
 買って来たたこ焼きに目を輝かせる慧。ちょうど今さっき、宿題の一つが終わったらしい。すごい気合いが入っているみたい。
「でしょ? コンビニ弁当だけじゃ、足りないと思ってね」
 今日はお母さんがお昼過ぎまで買い物に出かける日。だから、コンビニ弁当が昼食なのです。
「あ、もうすぐ友達が来るからね」
「え?」
 そ、そんな話し聞いていませんでしたけど。
「姉さんは別にいても良いよ。宿題を一緒にやるだけだし」
「そう? じゃあ、分からない問題があったら聞いて良いからね」
 姉らしくふるまう。なんて優しいの、私ったら。
「今、自分で自分のこと優しいって思ったでしょ?」
「な、何で分かったの」
「姉さんの考えそうなことだもん。自分で優しいとか言ったら、人生お終いだよ」
「ふーんだ」
 食べ終わったコンビニ弁当を捨て、募金箱を二階に持って行った。慧も付いて来る。
「その中にお金が?」
「うん。他のグループと合わせて、百万円になるまで頑張るんだってさぁ」
 募金箱を机の横に置いて、ふと思った。
「盗んだら警察に突き出すから」
「ひどいなぁ。僕はそんなことしないよ」
 明らかにしそうな顔。
「あ、来た」
 この家はせまいせいか、インターホンの音が二階まで聞こえる。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
 慧に案内されて部屋に入って来た少年。短パンに半そでを着ていて、夏って感じがする。簡単に言うと、慧と同じ服装だから、きっと慧と同じような性格じゃないかってことです。
「あ、慧と同じクラスの車谷疾風(くるまたに はやて)です」
「私は由子。宿題やるんだっけ? 分からない問題は私に聞いても良いからね」
「はい、ありがとうございます」 
 二人は机の上で宿題をやり始めた。見た感じでは、礼儀正しそうな少年かな。見た目で判断しないのが私。じっくり観察しようっと。
「見てないで自分の宿題やれば?」
「やりますよーだ」
 慧がにらんで来たから、私もにらみ返して宿題をやる。
 少し経つと、買い物から帰って来たお母さんがおやつをくれた。だから私も休憩。全く進んでないってことは内緒。
「『美月由子は彼氏募集中です』って何ですか?」
「車谷君、世の中にはね、知ってはいけないこともあるんだよ」
 慌てて箱の向きを変える。
「姉さんの友達がね、募金箱にふざけて描いちゃったんだってさ」
 もう。いらないことまで言わなくてよろしい。
「へぇ、そうなんだ。何で募金しているんですか?」
「今年のお祭りの資金が足りないらしくてね」
「目標金額は?」
「百万円くらい。何に使うのかは全く不明だけどね」
 夏休みが終わるまでに貯まるのかが心配。宿題も大丈夫かなぁ。
「三時のおやつも終わったことだし、宿題やろうよ。姉さんもしゃべってないで宿題」
「はいはい」
「仲が良いですね」
 私達のやり取りを見て、車谷君がそう言った。
「どこが!」
 二人同時に答える。
「すごーく仲が良いですね」
 ふーんだ。もう宿題やろう。子供を相手にしていたら疲れちゃう。あ、私も子供か。
「姉さん、この問題が分かんないよ」
「やっと私の出番かな」
 そう言いつつ、私は慧の方に歩いて行く。私に解けない問題はない。中学生の問題は忘れたかもしれないけど。
「ごめん。嘘」
「……あら、そうですか」
 問題集を丸めて慧の頭に面!
「うわぁ、一本取られ……って何してんだよ馬鹿」
 おぉ、素晴らしい。剣道ネタも通じるんだ。剣道って、やったことも見たこともないんだけどね。聞いたことだけはある。
「遊びに来たのか、宿題をしに来たのか分からなくなってきたよ」
「ごめんね、車谷君。ちゃんと黙って宿題するわ」
 車谷君に怒られて、私も慧も静かになった。
「逆に静かすぎて怖い」
 あまりにも静かすぎたのか、車谷君がそう言った。
「えぇ、だって疾風がうるさいって言ったんじゃないかぁ」
「言ってないよ」
「はいはーい。もうおしゃべりは終了。宿題しなさい」
 威厳ある私の言葉で、二人とも黙って宿題をやり始めた。

 気付けばもう夕方の五時半。今日は六時に夕食だし、そろそろ帰ってもらわないとね。
「車谷君、そろそろ帰ったら?」
 私がそう言うと、慧が時計を確認した。
「あ、夕食の時間だ」
「も、もう? じゃあ、俺はこれで帰るよ」
 宿題をカバンに戻して、慧の後を付いて行く車谷君。私も一応お見送りしようっと。
「一人で帰れる?」
「明るいから平気です。それに、家は隣だし」
「そうなの?」
 お隣さんと言えば、たまに手料理をおすそわけしてくれる優しいお母様の家。全然知らなかった。お子さんがいたんだ。
「じゃあ、お母様に『いつもお世話になっています』って伝えておいてくれるかな?」
「ラジャー。また来ますね」
 車谷君は、お隣のお家へと帰って行った。