サプライズ 最終話

「優衣さん、何を取りに行っていたんですか?」
 家から出ると、梢が不思議そうに尋ねた。
 目的地に向かう途中、ちょうど家の近くを通ったので寄り道させてもらったのだ。
「まぁ、いろいろとね」
 私は護身用にとあるものをコートのポケットに隠している。いざというときに使おうと思っているが、そうならないことを願う。
 アッシュを家の中に入れ、私は「準備できた、行こう」と言う。
 しかしアッシュはさっと玄関を飛び出す。まるで自分も一緒に行くのだと抗議しているように。
「見ろ、ついて来るようだぞ。名犬アッシュがいると心強いな」
「アッシュは猫だけどね」
 私は保見の言葉を訂正し、アッシュに向かって「いざというときは警察犬のように助けてね」と微笑みかけた。それに答えるようにアッシュは鳴き声をあげる。
 私たちは気温の下がりはじめる中、無言で目的地を目指した。保見の言っていた通り廃ビルがある場所はそれほど遠くなかった。待っていて楓、お姉ちゃんが今助けに行くから。
 そして午後五時、ついに廃ビルを発見した。予想していたよりも真新しさの目立つ建物だ。
 この廃ビルは人通りの少ない脇道のような場所に建てられているため、もし何かあってもすぐに助けを呼ぶことはできない。この中で唯一の大人として私は、楓と梢、そしてアッシュの身は必ず守ろうと誓った。ついでに保見も。
「今ならまだ遅くはない。本当について来るの?」
「はい」
「もちろんだとも」
 私たちはそれぞれ顔を見合わせ、廃ビルへと一歩を踏み出す。
 使われなくなってからそう時間は経っていないらしく、埃っぽい空気や崩れたコンクリートなどを想像していた私には拍子抜けだった。
「ちょっと、足を掴まないでよ。転んだらどうするの」
 階段を上っていた私は、保見に向かって小声で文句を言う。
「すまない。暗くてあまり見えないものでね」
 窓から差し込める光以外の明かりは一切ないので、ビル内は薄暗かった。しかし、だからといってなぜ足を掴むのか……そう思って呆れていると、保見は次に私のコートを掴んできた。迷子にならないように母親の服を掴む子どもか、とツッコミそうになるのを必死で耐える。最後尾の梢でさえしっかりとついて来ているのに。
 壁に書かれた「3F」という文字を見つけ、目的の階にたどり着いたことを確認する。
 耳を澄ませてみるが、話し声や物音は聞こえてこない。本当にここに楓や犯人がいるのだろうか?
 廊下を歩いていると、不意にどこかで音がしたような気がした。扉が開いた時の軋み音だ。保見がその音に驚いて短い悲鳴をあげ、口を押える。
 私は廊下の奥から光が漏れているのに気づいた。扉が開いたのはあそこだろう。私は二人に頷きかけ、慎重にその部屋へと近寄る。
 開いていた扉から中を覗き込んだ私の目に最初に飛び込んできたのは、紛れもない妹の姿だった。そして楓のすぐ横には、犯人が。
 私たちは無言で、ランタンの明かりで照らされた部屋へと足を踏み入れる。
「それ以上近寄るな、丘野楓の命はないぞ」
 犯人の姿を見て私は狼狽える。犯人はあの家政婦、つまり女性だと思っていたのに、目の前の犯人は明らかに男性で、先ほどの家政婦にはまったく見えない。共犯者? いや、そもそも家政婦は犯人などではなかったのだ。私としたことが、保見と同じレベルの見当違いな推理をしてしまっていた。
「レッドダイヤモンドが入ったカバンを寄越せ。そしたら妹は助けてやる」
 そう言った犯人の手には鋭そうなナイフが。丸腰であるはずがないと思っていたので驚きはしない。それどころか喜んでいた。犯人が”ナイフしか持っていない”からだ。
「優衣さん、どうします?」
 不安げな梢に向かって私は、「大丈夫、心配しないで」と囁きかける。
 梢は鞄を肩から外し、犯人に近寄ろうとする。
「鞄だけこっちに寄越せ。お前は近寄るな!」と犯人に怒鳴られ、梢は今にも泣きそうな声で「はい」と返事をした。
 梢は言われた通りに鞄を床に下ろし、犯人の足元にめがけて滑らせる。犯人は楓にナイフを向けたまま片手で鞄を開け、中に宝石箱とその鍵が入っているのを確認する。鍵で宝石箱を開けると、中に入っていたレッドダイヤモンドが姿を現した。驚くほどに綺麗な宝石だ。
「へへっ、ありがとよ。これでもうこいつは用なしだな」
 犯人がナイフを手に楓に向き直ろうとした時、私は咄嗟にコートからあるものを取り出し、犯人につきつけた。
「動かないで。動いたら撃つ」
「なんだと?!」
 私の手にあるのは銃……ではなくエアガンである。
 なんにでも手を出してみる私がエアガンにハマった時、数千円程度で買った玩具だ。殺傷能力はほとんどないし、よく見れば本物の銃ではないと気づけるだろう。しかしここは暗い。本物の銃であると勘違いしている犯人は、明らかに動揺しているようだった。
「お、お前、そんなものどこで……」
「実は私、警察官なの」
 もちろんただの嘘だ。
「馬鹿な! 丘野楓の姉の優衣はニートだって聞いたぞ」
「わ、私はニートではなくフリー……フリーの警察官よ。ニートというのは警察官であることを隠すための嘘。さぁ、大人しくナイフを捨てて。じゃなきゃ撃つから」
 寒いはずなのに汗が額を流れてきた。エアガンを持つ手も汗で濡れる。落とさないよう手に力を込めた。
「分かった、分かった! だから撃つな、撃たないでくれ」
 犯人はナイフを床に置き、両手を頭の高さにあげた。
「楓から離れなさい」
 私はそう命令したのだが、つい声が震えてしまう。おかげで犯人に怪しまれてしまった。今の内にナイフを奪っておくべき? 考えている時間はなかった。
 犯人は咄嗟にナイフを拾いあげようと床に手を伸ばした。私は突然のことでどうすればいいのか分からず、体が固まる。
 次の瞬間、保見がばっと犯人の前に飛び出し、強烈なタックルを食らわせる。そしてその隙に梢がナイフを奪い取った。
「くそっ!」
 悪態をついた犯人はレッドダイヤモンドを掴み、私たちから逃げようとするも、悲劇はまだ終わらない。私の背後にいたはずのアッシュが威嚇しながら犯人の顔に向かって飛びかかり、爪で引っ掻いたのだ。これにはたまらず転倒し、呻き声をあげる。アッシュはそんな犯人に向かって噛みついたり引っ掻いたり、起き上がる隙を与えない。
 その間に私は、両手両足を縛られて口をガムテープで塞がれていた楓を救出する。
「お姉ちゃん! もう、もうわたし駄目かと思った」
 涙を流す楓の頭をぽんと叩いてやり、「私の誕生日は駄目になったけどね」と冗談を言う。
「優衣さん、そのロープで犯人を縛りあげてやろう!」
 保見の提案を聞き、私たちはアッシュと格闘している犯人の両手両足を必死に縛りあげた。抵抗されたおかげで横腹を蹴られ、お気に入りのコートに足跡がついてしまった。この落とし前はあとできっちりつけてもらおう。
「くそっ、くそっ! 覚えてろよ、今度会ったらただじゃおかねぇ!」
 などと喚き散らしている犯人をよそに、私は携帯で警察を呼ぶ。

 その後の出来事は何もかもあっという間だった。駆けつけた警察に事情を説明したところ「なぜもっと早く通報しなかった」と叱られ、何度も何度も同じことを繰り返し説明させられた。
 私たちの両親は警察署まで迎えに来てくれたのだが、これまたこっぴどく叱られたのだ。なぜ早く教えてくれなかったのだと。警察も親も言うことは同じだなと私は心の中で笑う。
 楓は幸いにも無傷で済み、ただお腹が空いたと文句を言う。
 しかし……レッドダイヤモンドは無傷では済まなかった。犯人が転倒した時に床に落としたせいで傷が入ったのだ。
「傷つけないって約束したのに。お母さん、ごめんなさい……」
 梢が涙声で頭を下げるも、梢の母は平然とした顔で「いいわよ、ただの偽物だもの。あなたが無事でいてくれて何よりよ」と答えた。
 そう、あのレッドダイヤモンドは偽物だったのだ。金庫室そのものが泥棒に忍び込まれたとき用に作ったフェイクで、本物のレッドダイヤモンドは別の金庫室にあるのだという。結果としてレッドダイヤモンドは無事だったわけだ。
「本物そっくりだったでしょう?」と笑う梢の母に、私たちはため息をつくしかなかった。
 楓を誘拐した犯人は梢の父が経営する会社の元社員で、首になったことで恨んでいたらしい。そこで盗聴器を仕かけていつかひどい目に遭わせてやろうと機会をうかがっていたところ、楓の企画していた今日のイベントの内容を聞いてしまったのだ。
 楓があまりにも詳しくイベントの具体的な内容を梢に話すせいで、復讐に使えると思われたのだろう。
 警察署から解放され、梢の家で一息ついたのは夜の十一時を回ったころで、私たちは家政婦の出してくれたホットミルクを堪能した。
 私たちの両親はさっきからずっと互いに頭を下げ、うちの子が迷惑をおかけしましたと言い合っている。
 誘拐犯を捕まえたというのに、誰も私たちを褒めてくれる者はいない。
「それにしてもかっこよかったよ、お姉ちゃん! 本当に警察官みたいだった。あ、ホミーもかっこよかったよ。今度学校に行ったら、今日のことを自慢しちゃおうっと!」
 本当に人質だったのかと疑いたくなるほど、楓は元気な様子だ。
「やめてくれよ、目立つのは嫌いじゃないんだ」
「それを言うなら"目立つのは好きじゃない"だよ、ホミー」と梢が笑いながら言う。
「……ねえ、楓。あの公園の次の目的地はどこだったの?」
 中途半端に終わってしまった私の誕生日のイベントのことを思い出し、楓に聞いてみる。
「ああ、あれ? 最後の目的地は近所の河原。本当はあそこでみんなと記念写真を撮りたかったんだけど……もう駄目だね」
 悲しげに私の目を見つめ、すぐに目を逸らした。
「まだ間に合うと思うがね。ここならカメラくらいあるだろうし、今からでも撮影しに行ったらどうだ?」
「そうよ、保見くんの言う通り。私もこのままで誕生日を終えるつもりはないんだから」
 今日が終わってしまうまであと一時間はある。近所の河原なら歩いて数分、十分に間に合うだろう。
「間に合う……? よーし、分かった! じゃあ、先に河原で準備していて。わたし、ちょっと家に戻るから」
 楓はぱっと立ちあがると、リビングから飛び出して行った。
「夜中に一人で出歩いちゃ駄目だよ、楓。また誘拐されちゃうよ」と言いながら、梢もあとを追いかける。
 私と保見は梢の母に頼んで”偽物ではないちゃんと使える”カメラを借り、一足先に河原へと向かった。
「うぅ、寒い」
「私の手袋を貸してやろうか」
「いらない」
「そうか」
 それから数分後、楓と梢は小走りでやって来た。こうして並んでいるとやはり双子に見えてくる。
「遅くなってごめん」
 そう言った楓の手には青いマフラーが。見たところ新品のようだが?
「お姉ちゃん、誕生日おめでとう」
 楓は私にマフラーを差し出した。
 その時、私は昨日の楓の行動の意味がやっと分かった。私が今ほしがっているものを知りたかったのだ。だから必死に私の日記を読もうと……そして今日、イベントの準備をする合間にこうして買ってくれていたのだろう。
 私はあふれ出る涙を止めようともせず、「ありがとう」と返事をする。
「楓、お姉さんを泣かせちゃ駄目じゃないか! ほら優衣さん、私のハンカチを……」
「いらない」
「……そうか」
 私は楓からもらった青いマフラーを首に巻き、その代り今まで使っていたマフラーを楓に渡した。
 マフラーは本当に暖かく、楓の気持ちがこもっているような気がした。
「諸君、そろそろ撮らないと二十五日が終わってしまうぞ」
「ホミー、急かさないの。せっかくの優衣さんと楓の感動シーンが台無しになっちゃう」
 梢に叱られる保見を見て、私はくすりと笑った。
 カメラのセルフタイマー機能を使い、私の誕生日の記念撮影をする。
「いちたすいちは?」と私が言うと、隣にいた楓が一言。
「え、なにそれダサッ」
 その瞬間、カメラが眩しく光った。
 写真には私の抱いたアッシュを含め、全員がしっかり映っている。私、楓、梢、アッシュ……そして保見。
 誕生日ケーキなんかよりもずっと大切なもの。この写真はあとで印刷して私の一生の宝物にするつもりだ。写真の裏にはこう書いて写真立てに飾ろう。
『最高の誕生日プレゼントをありがとう』

end...