サプライズ　第1話

「突然ですが、明日は私の誕生日です」
　暖かいストーブの前でくつろいでいる愛猫アッシュに向かって、私は話しかける。
「誰も祝ってくれなかったら慰めてね」
　アッシュは尻尾を二度振って返事をしてくれた。意味は分からないが、きっと任せておけとか大丈夫だよとかそんな感じではないだろうか。
　明日で私は二十歳という人生の一つの節目を迎える。
　中学生の私は、二十歳といえば大学生活を満喫しているころだろうとしか考えていなかった。それが高校生になりイラストレーターや小説家、プログラマーやカメラマンなどなどいろいろな職業に興味が出て……そして明日で二十歳になる私は今、フリーターとしての日々を送っている。
　あれもこれもやりたいと思ってなんにでも手を出してみるのだが、どれも長くは続かない。最初はしつこく将来について説教をしていた両親も最近になって諦めてしまったのか、私の好きなように生活させてくれている。
　私には妹がいる。そう、たった一人の私の最愛の妹……のはずなのだが、正体はいたずらっ子の生意気少女なのである。
　今年で高校三年生になる妹の楓(かえで)は、何かとフリーターである私をからかい、イタズラを仕かけてくる。いつまでも幼稚で精神の成長をまったく感じない。フリーターの私が言っていいのか分からないが、もっとちゃんとしてほしいものだ。
　私はそんなことを考えつつ、日記帳として使っているノートを取り出し、鉛筆を片手に新しいページを開いた。
『一月二十四日
　明日の誕生日、私は自分でケーキを買ってきて食べようと思っている。お母さんに”もう優衣(ゆい)は二十歳なんだから、ケーキくらい自分で買いなさい”って言われたわけ。
　ケーキ屋で自分の誕生日ケーキを買うのって、恥ずかしくない？
　できれば自分への誕生日プレゼントとして新しいマフラーを買いたかったんだけど、ケーキ代でしばらくは何も買えないだろうなぁ。せめてケーキ代くらいくれたっていいのに。
　楓からの誕生日プレゼントは……期待しないでおく』
　日記を書き終えた私はノートを閉じ、机の一番下の引き出しにしまい鍵を閉める。
　私は毎日こうした短い日記をつけるようにしている。フリーターである私でも一日として他と同じ日はないのだ。毎日が新しいことの連続で、現在どんなことに興味があるか、今日はどんな気分だったか、そして妹のイタズラの詳細などが主である。
　鍵をペン立ての中に隠した私はパソコンでもしようと思い、自慢のデスクトップパソコンを起動しようとする。
　珍しく数か月も続いたアルバイトの給料で購入したパソコンだ。
　そんな時、私の部屋の扉を誰か――どうせ楓――がリズムを刻みながらノックしはじめたのだ。ノックは三回で十分。あまりにも視力が悪すぎて、私の扉を太鼓か何かだと勘違いしているのなら話は別だが。
「入ってますよ」
　私は冗談交じりにそう言い、気にせずパソコンを起動する。
　ノックの音が止まった代わりに背後から扉の開く音がした。どうせ入って来るだろうと思っていたので私は狼狽えない。
「お姉ちゃん、今暇？」
　ちょうど学校から帰って来たばかりなのか、赤い眼鏡をかけた楓はまだ制服姿。
「うん」
「あのね、実は……」
「お小遣いならあげないから」と私は咄嗟に楓の言葉を遮った。
　楓の頼み事の中で特に多いのは”お小遣いの要求”と”宿題の手伝い”だ。この二つは一週間に一度は必ず頼まれ、宿題だけは毎回手伝っている。というのも、手伝わないとの母が怖いのだ。母の必殺技「優衣はお姉ちゃんでしょ」という一言で何もかもが強制されてしまう。お姉ちゃんというのも大変で、何度か妹になりたいと思ったことがある。いやそれよりも、頼りにできる姉がほしい。
「お小遣いじゃないもん」
「なら宿題？　たまには一人で頑張ってみなよ。明日は学校休みなんだから、時間はたっぷりあるでしょ」
「宿題でもないもん」
「ならなんなの」
　なかなか言い出さない楓。痺れを切らして部屋から追い出そうとしたところ、楓はようやく決心がついたように口を開く。
「お姉ちゃんの日記をちょっとだけ読ませてほしいなぁ、なんて！」
「断る」
「ケチ」
　この私が人に日記を見せるわけがない。たとえそれが妹であろうとなかろうと、絶対に。ただでさえ楓の悪口をたくさん書いているから、余計に楓には見せられない。
「はいはい、ケチですみませんね。さようなら」
「どケチ、どスケベエ、ど変態！」
　意味の分からない悪態をつきはじめたので、私は妹を丁重に廊下へと案内する。
　扉を閉めると、楓の声は少しだけ小さくなった。あの甲高い声で喚き続けられると頭が痛くなる。
　それにしてもどうして私の日記が読みたくなったのだろう。疑問に思った私はしばらく考えてみたのだが、結局答えは出なかった。ただの気まぐれか、よからぬことを考えているか。楓のことだ、そのどちらかに違いない。

　母と談笑しながら晩御飯を食べていた私は、静かに二階へと上がって行った妹のことが気になっていた。いつもなら口に食べ物を頬張りながら喋り、私にご飯粒を飛ばしてきたりするのだが、今日は比較的おとなしかった。具合でも悪いのだろうか。それとも単に喋ることがなかったのか。
　楓がいないといつもより静かに感じる。
　味噌汁を飲み干した時、二階から大きな物音がした。リビングの床で横になっていたアッシュは飛び起きる。
　最初は楓が何か落としたのだろうとさほど気にしなかった私だったが、しばらくして胸騒ぎがした。物音のした方角が私の部屋のある方角だったことに気づいたからだ。
「ごちそうさま」
　流し台に食器を運んだ私は急ぎ足で自室を目指す。
　扉はすでに開いていて、中では散らかった部屋で私の椅子に腰かけて日記を読んでいる楓の姿が。
「もう、勝手に読んじゃ駄目って言ったでしょ！」
　私が大声をあげて初めて私の存在に気づいたらしく、楓は慌てて日記帳を閉じ、机の上に置いた。
「わぁ、今日は食べ終わるのが早いね。早食い選手権にでも出場できるんじゃない？」
　冗談ではぐらかそうとしてもそうはいかない。そもそも私より先に食べ終わったのは楓ではないか。
「よくもまあ、こんなに散らかして。どうしてそこまでして日記を読みたがるのよ。楓にとっては、暇人が書いたただの文字の羅列じゃない」
　鍵を探してまで引き出しを開けて日記を読むとは、よほどの理由があるに違いない。
　部屋を見たところ、先ほどの大きな物音は机の上に置いておいた本の山を落とした音らしい。本を積むのは危ないかもしれないと思ってはいたが、やはりこうなってしまったかと後悔する。そのおかげで気づけたわけだが。
「分かった、もう二度と読まない。部屋の片づけも手伝うし、それでいいでしょ？」
　理由を話すつもりはないらしい。
「楓がそれでいいと思うのならそうすればいい。その代り、楓が責任を持ってこの部屋を一人で片づけてよね」
「そんな！　たたでさえ元から散らかって……」
　楓が最後まで言う前に私は扉を閉めた。
　この間に仕返しとして妹の部屋に無断で入ってやろうかと考えたが、そうするとあとで面倒な事態になりそうなのでやめておく。
　一階へと下りる階段の近くにアッシュが座っていて、金色の目で私をじっと見つめる。
「私も猫になれればなぁ」
　アッシュは返事をするかのように鳴いた。
　アッシュが人間になるか、私が猫になればきっとよき友達になれる。
　リビングでは母がテレビを見てくつろいでいた。テレビ番組にはちょうど占いのコーナーが流れていて、その占いによると私は明日、絶好調なのだそうだ。普段は占いなど鼻で笑うほど信じていないのだが、明日がちょうど誕生日ということもあり期待する。
　明日の私は絶好調か。素晴らしい二十歳のスタートが切れそう！　どこかの誰かさんに邪魔されなければ。