ストーカーおじさん 第9話 7月7日(日)

 誕生日パーティの準備をするからと、朝早くに家を追い出されてしまった私は、のんびり商店街を歩いていた。木之本一家も手伝ってくれるということで、今日の誕生日パーティは今まで以上に期待している。
 いつものスーパーに寄った私は、青年や青年のガールフレンドに会えないかと期待したのだが、今日はその姿はなくため息をつく。いつも午後にこのスーパーに来るのだが、今は午前。会えなくて当然だ。
 仕方なく本屋で数冊の本を買う。これは自分への誕生日プレゼントのつもりだ。
 本屋から出た私は、先週、留美子の誕生日のために訪れたフラワーショップが目に留まる。あの店で買った花束は枯れてしまった。その中でも留美子の誕生花――アガパンサス、という名前だったような気がする――は最後まで持った方だ。
 私も、自分の誕生花を使った花束を作ってもらおうかな。
 店に入り店員の姿を探す。一人の店員が私に気づき近づいてきたが、先週の店員とは別人だ。
「あの、先週ここに来た者なのですが」
「……あぁ! アガパンサスを使った花束をご購入していただいた方でしたよね? 店の奥でやり取りを見ていたので、覚えていますよ」
 言われてみれば、この女性の姿をあの日に見かけた気がする。
「その時の店員さんって……」
「ここだけの話、あの人その次の日から一度も店に顔を出していないんですよね。連絡もないので困っているんですよ」
 一度も顔を出していない、連絡もない。体調不良か、もしくは緊急の用事でもあるのか。いずれにせよ、いないのなら仕方がない。
「それでお客様は今日、誕生日なんですよね?」
「ええ、はい」
 そんなことまで聞かれていたのかと思うと、少し恥ずかしい。それほど大きな声で喋ってしまっていたのだろうか。
 この明るい店員は、「なら私にお任せください!」と言い、先週と同じように花束を作ってくれた。残念なことに私の誕生花は仕入れていないらしく、その代りに安くしてくれるそうだ。
「ありがとうございました」
 花束を抱え、店をあとにする。
 花の香りが心を爽やかにしてくれる。私は軽い足取りで家へと帰りはじめる。もうすぐ正午を回る。今ごろ留美子たちがそわそわして待っているのかと思うと、胸が高鳴った。
『本日、午前九時ごろ……市内の男性が刺殺され……男性は篠田雄太さん十九歳とみられ……通報したのは篠田さんの恋人で……』
 電気屋の前を通った時、そんな不穏なニュースが耳に入った。刺殺だの遺体だの、極力聞きたくはない単語だ。
 もしストーカーがもっと恐ろしい相手だったら、私も刺殺され、今ごろニュース番組で報道でもされていたかもしれない。あの紙に書かれた「もうしません」の言葉を信じてはいるが、不安が残っているのも事実。
 ……?
 何か引っかかるものがあり、私は足を止める。
 ストーカーの問題は今のところ解決している。ならば今、胸によぎった疑問は何?
 ……あの紙に書かれた「もうしません」の言葉。
 私は息を呑む。あの文字はペンなどで書かれたものではない。印刷されたものだった。わざわざ張り紙を読んだあと、あの短い言葉を印刷するためだけに家へと戻った? そんな面倒なこと、普通ならしない。そして、私の中に一つの可能性が浮びあがる。
 ――会話を聞かれていた。
 自転車のカゴに張り紙を貼っておこう、という話を聞かれていたとしたら、このおかしな行動も納得がいく。いつ、どうやって会話を聞くことができたのか。張り紙の話をしたのは、木之本家と自分の家。まさか、盗聴器……?
 私は胸騒ぎがして足を速めた。相手は一年間もずっと私を隠し撮りしてきたような相手だ。ただのストーカーではない。私はストーカーを甘く見すぎていた。
 どうか、ただの思いすごしであってほしい。
 家に帰れば、留美子たちが私を祝ってくれる。留美子が作った誕生日ケーキを食べ、みんなで騒いで楽しむ。最高の誕生日にする。なぜなら、なぜなら。
 ――私は幸せ者だから。
 悲劇というものは誰にでも起こりうるものなのだと、いつの日だったかとある友人に言われたことがある。悲劇もまた一種の事故なのだから。例えどんな善人であっても何も悪いことなどしていなくても、悲劇は知らぬ間に忍び寄ってきてすべてを破壊してしまうのだと。
 我が家に限って、そんなことはありえない。私は頭に浮かんだ話を頭から叩き出し、見えてきた家に向かって前進する。
 ぴたりと、足を止めた。
 家の玄関の前に、これみよがしに私の自転車が置かれている。そのカゴには完成したミルクパズルが。
『誕生日おめでとう、よしこ』
 真っ白なはずのミルクパズルには、真っ赤な文字でそう記されていた。
 なんて、悪趣味ないたずら!
 私は自転車をなぎ倒し、玄関の扉に鍵を差し込む。しかし、扉は既に開いていた。震える手で扉を開ける。
 扉を開けてすぐ、床に置いてあるものの存在に気づいた。
 赤いバラの花束……違う、赤いペンキに染まった……赤い血に染まった、白いバラの花束。九十九本のバラの花束。花言葉は永遠の愛。
 そしてその横には、ゴミ箱に捨てたはずの四つ葉のクローバーの栞。
 幸運を呼ぶ、四つ葉のクローバー。
 私は、ほんの好奇心のつもりで調べていた。そう、確か花言葉は……。
 ――私のものになって――

end...