線香月 最終話
八月二十五日
誰かがずっと私のことを呼んでいる気がする。どうしても起きたくないよぉ。昨日、夜までなかなか眠れなかったせいかも。でも、今日は何か大切な日だったような……。
「お……姉さ……てよ」
うるさいなぁ。起きたくないのに。
「姉さん! 今日はお祭りの日だよ! 現在の時刻は午前八時。生徒は七時に集合じゃなかったのかなぁ」
今、お祭りの日って言ったよね。もしかして……。
「寝坊だぁ!」
そばに立っていた慧を突き飛ばし、急いで一階まで駆け下りた。どうしてこんな大切な日に寝坊なんかするの、私。セミさん、もっと声のボリュームを上げて起こしてよ!
「ひどいよ、せっかく起こしてあげたのに」
慧がムスッとした顔で下りて来た。
「起こすならもっと早くに起こしなさいよ」
顔を洗って歯を磨いた私は、お母さんが作っておいてくれていた朝食をほおばる。うぅ、のどにつまりそう。
「いや、僕もさっきまで寝ていたから」
「何ですって?」
「お祭りの日にまで早起きはしたくないよ」
明日から学校のくせに。遅刻した時は、思い切り笑ってあげよう。
「それじゃあ、行ってくるね。お祭りは十一時からよ。忘れないでね。間違えてセマイ公園に行かないように」
それまでは、最終チェックをしっかりとしなきゃ。
「僕は疾風達と一緒に行くからね。頑張って」
「うん。楽しみにしていてね」
私はくつをはいて扉を開けた。
「やぁ、元気?」
もう驚かない。目の前に神崎護衛が立っているのはいつのもこと。
「元気よ。合鍵を作れるなら、起こしに来てほしかったなぁ」
「由子が怒っていたから、もう合鍵は全部捨てちゃったよ」
だ、誰かが拾ったらどうするの。
「川に捨てたから、たぶん大丈夫だと思う」
川のゴミ収集を生きがいにしている人が拾ったらどうするの。
「あ、それより、早くヒロイ公園に行った方が良いよ。みんなすごく怒っていたから」
「そうよね。一時間も遅刻しているんだもんなぁ。先生にも怒られるかも」
クマの説教から生きて帰れる言い訳を、今の内に考えておかないと。夜桜もかなり怒っていそう。そんなことを考えていると、誰かが私達の方に近づいて来た。
「やっぱりここにいたのか。手伝えって言っておいたのに」
蒼島先生だ。きっと私が遅刻したから怒っているのね。
「うるせぇよ。僕は由子の手伝いしかしないぜ」
「どうしていつもそんなに冷たいんだよ」
あれ、私に対して怒っているわけじゃないの? 蒼島先生と神崎護衛って、確かにいつも仲が悪そうだよね。
「二人って知り合いだったっけ?」
重い空気の中、歩きながら私はそう聞いた。
「ロリコン馬鹿だけど、こいつは僕の弟だよ」
「ぼっち野郎だけど、蒼島は僕の兄だ」
二人の声が重なった。
「そ、そうだったんだ……」
口では言えないけど、似てない。どう考えても似てない。超イケメンになった蒼島先生に比べると、神崎護衛はまったくイケメンじゃない。そもそも、兄が弟に背の高さで負けてどうするのよ。後、呼び捨てにされちゃっていますよ、弟に。
「あんただって人のこと言えないんだからな。花火職人を継ぐって言ったくせに」
「何だって? じゃあ、君だって教師になりたいとか言っていたじゃないか」
駄目だこりゃ。こんな所で兄弟喧嘩ですか。
「教師になりたいって言っていたのはあんただろ」
「あ、そうだったっけ。じゃあ、そろそろ公園に行こうか」
蒼島先生って、弟には弱そう。きっと昔から弟に泣かされていたんだろうなぁ。
「ごめんね、由子。蒼島っていつもあんな感じで、うっとうしいだろう?」
「担任じゃないし、あまり気にならないから大丈夫」
やっぱりクマが担任で良かった。
「姉さん、遅すぎ!」
「わぁ、びっくりした」
もう公園に着いたんだ。しゃべりながら歩いていたから気付かなかった。
「言っておくけど、クマと夜桜にどう怒られたって僕は知らないからね。姉さんのせいだよ」
「そんなこと言わないでぇ」
恐ろしや。クマなら耐えられるけど、夜桜には半殺しにされそう。
「ぼ、僕はここ等辺で帰るとするかな。あはははは……」
「あんたは私の護衛でしょうに。生きるも死ぬも一緒よ」
私は神崎護衛を引きずりながら、心を決めて夜桜達の所へ向かった。
「美月さんと優樹って付き合っているのかい?」
「それはないんじゃないかな。姉さんは……」
蒼島先生と夏雪が何やら話しているみたいだけど、もうここからじゃ聞こえなくなった。
「よぉ、お寝坊さん」
「お、おはよう、夜桜」
たこ焼き屋の準備を手伝っていたらしい夜桜は、私の方に近付いて来た。殺されるぅ。
「牧人より早く来て良かったな。蒼島は最後に着いた奴を怒鳴るらしいぞ。まぁ、俺は怒鳴ることに体力を使いたくないんでね。助かったな、由」
「へ?」
「由と同じく寝坊だろう、たぶん」
時真のおかげで助かったと分かって、私と神崎護衛は同時にため息をついた。
「なんとか助かったわね」
「やっぱり由子の運の良さは最強だよ」
さっきまで帰ろうとしていたくせにねぇ。
「お寝坊さん第二号が到着したみたいだよ」
夏雪が公園の入り口を指差した。時真が蒼島先生に怒られているみたい。先に着けて良かったぁ。
「ちくしょう、何で俺が寝坊なんかするんだよぉ」
蒼島先生の説教から逃げ出して来た時真。
「寝坊してくれてありがとうね」
「何だって? さては……美月も寝坊したなぁ!」
「してませーん」
隠しておこう。ばれたら恥ずかしい。
「え、姉さんも寝坊したじゃ――」
「夏雪君、ちょっと公園の周りを五十周して来てくれない?」
「は、は、はい!」
そんなに私が怖い顔をしたのか、夏雪はすぐに公園の外へと走って行った。あ、いけない。このままじゃあ、ますます私が怖い女の人だって近所の人に思われちゃう。昨日なんて、近所のおばさまに、『今日は誰をサンドバックにするんだい?』って言われちゃった。どこをどう間違えればこんなことになるのか。
「それにしても、クマはいねぇのかぁ?」
「確かに見当たらないわね」
周りを見回してみても、屋台の準備をしている人達ばかり。クマの天然パーマは見つからない。
「クマなら、思音ちゃんと奥さんに説教されているよ」
喜んで良いのか、ドントマインドと言った方が良いのか。
「あいつの説教は長いぞ。俺も数時間監禁されたことがある」
ぴかさんが向こうから呼んでいたので、夜桜はたこ焼き屋さんの方へと戻って行った。
「あいつって……奥さんのことかな」
「え、もしかして美月って知らねぇの?」
なんか時真に言われるとむかつく。
「由子って、記憶をすぐに消去したり、人の話を聞き流したりするからね。後、重要な情報は知らないことが多いよ」
夏雪が公園から出て行った後、ずっと黙っていた神崎護衛がそう言った。
「何それ、悪口?」
「ほめたんだよ」
ここは許しましょう。私にだって寛大な心はあるんだからね。
「ややこしい話だけど、美月の頭で理解できるか?」
「とりあえず教えてよ」
「クマの奥さんは、夜桜のお姉さんだってことだ」
ミツコお姉さんが、クマの奥さん?
「あぁ……説教が長い理由が分かったわ」
美人だけど、実は厳しいミツコお姉さん。きっと毎日苦労しているんだろうなぁ、クマ。
「夜桜家って、何でろくな人間がいないんだ」
「あ、それは俺も思ったわ」
神崎護衛と時真が、問題発言をする。
「こら、そんなこと言ったら夜桜に殺されるわよ」
「誰に殺されるって?」
ナイスタイミングでやって来る夜桜。やっぱり天才ね。
「夜桜のお姉さんは怖いから、悪口なんて言ったら殺されるわよって言ったの」
「ふぅん」
納得したのか、またぴかさんの元へと戻って行った。セーフ。
「今みたいなことになるから、あまりさっきみたいなことは言わないでよね」
いくら私が強いからって、本気で怒った夜桜を倒せる人なんていないよ、たぶん。あ、ミツコお姉さんがいた。
「了解。じゃあ、僕は花火の準備もあるし、そろそろ川に行かないと。多分お祭りの最中は会えないと思う。あぁ、ショックだなぁ……」
「最後のお祭りなんだから、失敗しないでよね」
今日までいっぱい頑張って来たもん。まぁ、私がしたことと言えば、募金活動とビラ配り程度だけどね。
「あ、最後にこれだけは言わせてくれないかな」
神崎護衛が、改まった感じでそう言った。
「ぼ、僕がいなくても、幸せにね」
「え? う、うん」
よく分からないけど、神崎護衛は笑顔で去って行った。遺言? お葬式はいつ?
「セマイ公園が遊園地に変わるなんてなぁ」
「無駄に広いからしょうがないんじゃない? ここを公園にした理由が分からないわ」
その無駄な広さのおかげで今日、豪華なお祭りができるわけなんだけどね。
「確かに無駄に広いな。夏雪はここを五十週もしているのか……」
「へ? 五十周……あ、すっかり忘れていた」
「おいおい、大事なことだろう」
私と時真は、夏雪の様子が気になって公園の入り口に移動した。すると、タイミング良く夏雪が走って来る。汗だくだ。こんな暑い日に五十周って……やらせた人の顔が見てみたいわね。あ、私だった。もぉ、自分のボケに自分でツッコミを入れてどうするの。
「夏雪ったら、大丈夫?」
「だ、だ、だいじょ……」
あらら、まったく大丈夫じゃない。
「運動音痴に五十周はきつかっただろうな」
「ご、ごめん……まだ一周……」
この広い公園を一周できただけで十分すごい。私だったら太陽のせいで溶ける。
「水を持って来るから、公園のベンチで休みなよ」
今にも倒れそうな夏雪を頑張って立たせる。
「なら俺が持って来る」
「そう? じゃあ、よろしくね」
時真は一足先に公園の中へと戻って行った。
「歩ける?」
「うん、大丈夫……僕は、実は、運動神経が良い……んだよ……」
明らかに嘘だ。
「ごめんね、本当に。私ってつい思ってもいないことを口に出しちゃうからさ」
「気にしないで。慣れているから」
あまり慣れてほしくないかも。
「あそこのベンチで良いよね」
ぴかさんと夜桜が見えるベンチに、夏雪を座らせる。本当に仲が良いよね、あの二人。ゲームの仲から恋の仲に発展すれば最高なのに。
「水持って来たぞぉ」
ペットボトルを持って、時真が戻って来る。
「ありがとう、マッキー」
夏雪はそれを受け取ると、一気飲み。冷たい物を一気飲みするとお腹を壊すわよ。慧もそのせいでトイレにこもりきりだったことがある。
「その水って、どこにあったの?」
「屋台のおじさんが、お金を払うんだったら良いってことでくれた」
「ちゃんと払ったんだ。優しいわね」
自分のため以外、お金は使わない人だと思っていた。
「優しいだろ? さて、夏雪君。百二十円よこせ」
うわぁ、ほめて損した。
「どうぞ」
素直にポケットから百二十円を取り出して、時真に渡した。お金って、財布に入れる物だと思っていたんだけど、入れない人もいるんだね。
「夏雪はその甘い性格をどうにかした方が良いと思う」
「姉さんが『その顔でクールとかありえない』って言ったくせに」
中学生の頃の夏雪には戻ってほしくない。すごくクールなのと、かわいい系の間になってほしいんだけど。
「夏雪って、後輩の男子に告白されたことがあるよな」
「そ、そうなの?」
私は初耳。
「うわぁ、言わないって約束したくせに! バーカ」
「そんな約束したっけ? 覚えてねぇなぁ」
やれやれ、呆れるしかない。
「告白して来た人には何て言ったの?」
頭を叩き合っている二人を止めて、私はそう聞いた。
「え、えっと……『僕、男ですから』って言った」
そんなこと言われたら、一生立ち直れないだろうなぁ。
「その後の後輩のセリフがおもしろいんだけど、聞く?」
「もちろん、聞かせて」
「『実は罰ゲームで告白してみただけです。ごめんなさい』だよ」
きっと嘘でしょうね。もう次の日から登校拒否しちゃうんじゃないの。
「俺がこの前聞いた時は、笑いが止まらなかったぜ」
「人の不幸を笑うべきじゃないわよ」
「じゃあ、このイケメソクマ様の不幸も、笑わずに聞いてくれるか?」
「きゃあ!」
しゃべることに夢中だったせいで、クマが目の前で立っている事に気付かなかった。
「何で先生の顔を見て悲鳴なんか上げるんだよ」
「い、いや、クマの後ろに幽霊が見えたから……」
まったく言い訳になっていないと分かりつつも、私はそう言った。
「マジかよ……なんか最近運が悪いと思ったんだよなぁ」
信じてくれるのがクマです。
「でだ、聞いてくれよ! 今日、お祭りに来るんだよ、俺の奥さんと思音が」
「それは不幸でも何でもないんじゃない?」
「不幸だ!」
そんなに必死に訴えなくても。
「あほ島でさえ、今は彼女と仲良く付き合っているんだぜ? 今日、何か喜ぶようなことしてやれば?」
「そうだなぁ……犬以外に何があると思う?」
結局私に聞くんですか。
「今回だけは自分で解決してね。クマは夕方まで暇なんだし、ゆっくり考えてみて」
私達生徒は、一日中忙しいのでね。お祭りが始まったら、お店を手伝わないといけないし……面倒。優しい人のお店を手伝いたいな。
「一応考えてみるかな……美月達も、ちゃんとお祭りの準備を手伝えよ」
クマは考え込みながら、公園を去って行った。
「あ、そうだ。実は僕、今から用事があるんだよね。僕もこれで失礼するよ」
さっきまで死にかけだったくせに。回復が早い。
「何かずるーい」
「そうだそうだ。ずるいぞ、お前だけ」
私と時真は二人して夏雪にブーイングを送った。
「お祭りの時には戻って来るから」
それがずるいんじゃないの。
「しょうがない。夏雪のために、とびっきりの浴衣を用意しておいてやるぜ」
「それは嬉しいね。じゃあ、また後ほど」
そして、私と時真だけが残された。
「今更だけど、私、浴衣なんて持ってないんですよねぇ」
「えぇ? お前プリント見てなかったのかぁ?」
確かに、『夏祭りに着るため、浴衣は各自で買っておくこと』って書いてありました。
「お母さんにもったいないから駄目って言われたから、しょうがないじゃない。夏雪が買ってあげるって言ってくれたけど、やっぱり我慢することに」
たった一日しか着ないんだし。
「もう後二時間くらいでお祭りが始まるのに、浴衣なしかぁ。浴衣姿を拝めると思ったのに」
「もうそんな時間?」
公園の時計を見ようと思ったけど、遠すぎて見えない。仕方なく夜桜の所に行き、腕時計を見させてもらう。
「九時かぁ。まだ八時半だと思っていた」
「腕時計くらい買っとけよ」
「お母さんが、『夜桜君が持っているんだから、それを見せてもらいなさい』って言うの」
流石の夜桜も、これには呆れるしかなかったみたい。
「俺の方が貧乏だと思っていたけどさ、美月の方が貧乏なんじゃねぇかなぁ」
「計画的なだけよ。お母さんって、老後のために貯金しているみたいだし」
そんな素晴らしい母なのに、どうして慧みたいな子が生まれたのか不思議。あぁ、お父さんは結構だらしないっけ。お父さんに似たのね、慧は。
「へぇ、ケチってことか」
聞かなかったことにする。
「美月さん、時真さん。そろそろ手を動かして下さいよ」
ぴかさんにそう言われ、自分がたこ焼き屋を手伝うつもりだってことを思い出した。
「あ、ごめん。今日は精いっぱい手伝わせてもらうからね」
現在、時刻は夜の七時。ずっと立ちっぱなしの働きっぱなし。夜になれば少しは減るだろうという甘い考えは、早くも打ち砕かれました。花火が目当てなのか、お昼の倍近くは集まっている。お昼からずっといる人もいる気がする。遠くまでビラ配りに行ったおかげかな。にしても、たこ焼き屋の暑さは尋常じゃない。焼き物だからしょうがないだろうけど、暑すぎる。
「うぐあぁ! 俺は早く浴衣着てぇぞぉ」
「時真さん、ここで着替えないで下さいよ? 神社のテントでお願いします」
あぁ、時真ならやりそう。
「さ、流石にそんなことしないって」
ちなみに、ヒロイ公園の噴水辺りがきれいな花火を見やすいらしい。他の場所でもちゃんと見られるけどね。一番きれいに見られるのがそこってだけで。
「はぁ……僕も浴衣着たかったなぁ」
私と時真は、この夏雪の発言を聞き逃さなかった。
「よぉ、夏雪君」
「な、何?」
「俺と美月で用意した浴衣でも着れば?」
「え、遠慮しておくよ」
私達の考えていることが分かったのかな。
「とりあえず、とっとと着替た方が良いんじゃないのか」
「空に同意だぜ」
私みたいに浴衣を持っていない子以外、ほとんどの生徒が神社の着替え用テントに浴衣を持って行っていた。
「私はここで手伝いながら待っているねぇ」
「よろしくお願いしますね」
ぴかさん達が去って行くのを見届ける。夏雪は夜桜に引きずられて行った。
「ほら、由子ちゃん。抜けた子の分、ちゃんと働きや」
「は、はーい!」
ぴかさんのお母様にこき使われないことを願います。
「あのぉ、似合いますか?」
黄色い花柄の浴衣で、断然かわいくなったぴかさん。
「似合いすぎる!」
「ありがとうございます。さて、お客さんがいっぱいですね」
他の生徒も続々と浴衣を着て、手伝いに戻って行く。
「お、俺は似合う?」
時真がそう言った。
「さあ?」
あえてノーコメント。赤色の浴衣でかっこいいですね。
「そうだ、由。さっき女子用テントに張り紙が貼ってあったぞ」
夜桜らしい浴衣を着た夜桜がそう言った。黒色に桜って結構良い組み合わせかも。
「何の?」
「あぁ、俺も見たな。『三年三組の美月由子の浴衣を用意した。直ちにそれを着ろ』って」
「本当? お母さんが買って来てくれたのかなぁ」
テントなんかに張り紙を張られて恥ずかしいけど、浴衣を着ることができるならどうということはないわ。
「夏雪が戻って来ていないし、行くついでに様子でも見て来てくれ」
「はーい。お店の方お願いね」
テントがある神社は、公園の隣にある。公園のせいなのか、神社はさほど広くはない。初めて来る人なら、お寺と勘違いするかも。
「これが噂の張り紙ね」
さっき夜桜達が言っていた通りの言葉が書いてある。
「あら、美月さんじゃない。早く着替えないと、蒼島先生やクマに怒られるわよ」
「う、うん。分かった」
クラスの子にそう言われ、急いでテントの中に入って着替えた。車谷君のお母さんに、着るのを手伝ってもらう。
「由子ちゃんに似合っているわね。きっと男もメロメロなんじゃない?」
お世辞だと思うけど、うれしいよぉ。でも、浴衣のせいで暑い。夜だから少しはマシだけど。
「ありがとうございます」
お礼を言い、テントから出る私。まだあの服に着替えていないのか、男子テントの中から夏雪の泣いている声が聞こえた。そんなに嫌だったのかな。
「やぁ、美月さん。浴衣きれいだね」
仕方なく先に戻ろうと思ったら、蒼島先生が声をかけて来た。
「蒼島先生は浴衣着ないの?」
「いやぁ、せっかくのデートの日だし、浴衣はやめておこうかと思って」
おぉ、あの人ともうそこまでの仲になったんだ。
「デートだからこそ、浴衣は大事だと思うけど」
「僕にはこの服が似合うんだよ」
今日着ているのは、私が決めてあげた服だ。
「ところで、夏雪ってまだ泣いているの?」
「朱魏さんならさっき、『何で僕がこんな目に』ってわめいていたような気がするね」
私と京子ちゃんが着たメイド服を、夏雪に着せないわけにはいかないと思ったからね。プレゼントしました。このタイミングを逃したら、たぶん卒業式まで着せられない。
「じゃあ、無理やり着せて引っ張り出してくれない?」
「生徒が先生に命令するなんて……ひどいなぁ……」
一人でブツブツ文句を言いながら、男子のテントの中へと消えて行った。
「僕だけこんな格好なんて絶対嫌だぁ!」
と、夏雪が叫んでおります。
「近所での僕の評判があぁ!」
と、夏雪が嘆いております。
「あぁ、もう良いよ、分かったよ。引っ張らないで」
とうとう観念したのか、メイド服を着た夏雪が……。
「やぁ、姉さん。その浴衣、似合っているよ……」
「な、夏雪……どうしてメイド服じゃないの!」
「へ?」
時真にちゃんと言っておいたはずなのに。あのメイド服を渡しておけって。
「ふっふっふ……このアンジェラがすり替えておいたのですよ!」
「そ、そんなぁ!」
どこからともなく現れたアンジェラさんの手には、時真に渡しておいたメイド服が。
「よく分からないけど、僕は結局救われていない……」
そう言うのも分かります。メイド服じゃなかったのは残念だけど、代わりに女物の浴衣。私はこれで満足。
「夏雪って、やっぱり女の子みたいだよねぇ」
「アンジェラもそう思いますぅ」
「ふ、二人してひどい」
涙目になっている夏雪は、一人セマイ公園へ向けて歩き始めた。
「夏雪お嬢様、お待ち下さーい」
「ちゃんとお店を手伝うんだよ」
そんな夏雪のことを気にせず、蒼島先生は笑顔でそう言う。
「私もそろそろ戻ろうっと。蒼島先生、彼女と仲良くね」
「もちろんさ」
「あ、慧?」
「えへへ。ごきげんよう」
公園の入り口に、浴衣を着た慧と車谷君、そして京子ちゃんがいた。
「あれ、何で姉さんが浴衣なんか着ているの?」
「お母さんが買ってくれたみたいなの」
慧は良いよね。お父さんのお古が着られて。しかも、慧にとっても似合っているし。あ、もちろん車谷君も京子ちゃんも似合っているけどさ。
「僕はそんな話聞いてないよ? さっきまでお母さんと一緒にいたもん。今はお父さんと屋台回りしているけどね」
「そうなんだ。まぁ、着ることができたんだから別に良いでしょ」
私にお似合いの青い浴衣。いくらしたんだろう。
「あ、あの……この間は、本当にごめんなさい……」
「全然気にしなくて良いよ。私って、すごく優しいから」
「自分で優しいって言う人は、大抵怖い――」
調子に乗った慧を黙らせる。それを見た二人が笑った。
「皆はこれから屋台を回るの? 良かったらたこ焼き屋まで案内しようか?」
「ごめん、たこ焼きはもう食べちゃったんだよ。これからは射的とかスーパーボールすくいとかをやるつもりだよ」
私と入れ違いになっちゃったわけかぁ。
「それは残念。他の屋台も楽しんで行ってね」
「はい」
車谷君と京子ちゃんが笑顔でそう言った。
「姉さん、今戻れば、お母さんとお父さんがいるんじゃない?」
「おぉ、そうかも。行ってみるね」
私は急いでたこ焼き屋に行こうと思ったけど、浴衣だから歩くことにした。転んだら恥ずかしいもん。
「あ、あれ?」
公園に入ってすぐのくじ引き屋さんで、何やらミツコお姉さんらしき人の後ろ姿が。隣には蜜男君と思音ちゃんがいる。ついでにクマも。
「もぉ、何で当たらないのよぉ」
「それはお前の運が悪いからだと思うぞ……」
クマの存在が小さく見えるのは、ミツコお姉さんのおかげでしょうね。
「失礼ね。さぁ、もう一度やらせなさい」
後ろに並んでいるお客のことなんか気にせず、五百円玉を渡すミツコお姉さん。
「今度はあなたが選んでみてよ」
くじ引きの箱をクマに差し出した。クマって、運の悪さがトップクラスだったような。
「よーし……これだぁ!」
かっこよく取り出した一枚の紙。そこには……。
「やったぜ、当たりだ!」
流石クマ。みんなの期待を裏切るのがクマ。
「嘘ぉ! ちょっと見直したわよ、あなたのこと」
「そ、そうか? ありがとよ」
くじ引きの景品は、なんと大きな熊のヌイグルミ。それをうれしそうに蜜男君と思音ちゃんの二人で持った。家族の仲が深まったみたいで何より。話しかけるのはやめておこうっと。
「それよりあなた、仕事は?」
「え? お、俺は教師だからさぼっても良いんだよ」
「何ですって? 今すぐ持ち場に戻りなさい。給料が減ったらどうするのよ」
二人の笑える会話も、どんどん遠ざかって行く。
「みんな、ただいま……って何これ」
たこ焼き屋さんの前には、大行列ができていた。
「夏雪のおかげで男の客が増えただけだ。メイド服じゃないのが残念だなぁ……お、似合っているぜ、美月」
「時真の割には、ほめるのが上手ね」
夏雪って、やっぱり女の子に生まれて来るべきだったんだよ、たぶん。
「時真の割にってお――」
「私の親ってもう来た?」
反論の暇を与えない。
「……美月がいなかったから、残念そうにたこ焼きを買って違う店に行ったみたいだぜ」
「そ、それは残念。さて、手伝わないと」
二人ともどこに行ったのかなぁ。もう一度見に来てくれることを願いましょうかね。
「あ、夜桜からの提案聞いてくれね?」
夜桜達の元へ行こうとすると、時真がそう言った。
「何?」
「『もうすぐ花火の時間だ。役に立たずの時真と美月は花火でも見て来い』って言われたんだ。どうする?」
役立たずの美月……。
「お昼から立ちっぱなしだし、休憩にはちょうど良いかもね」
「よっしゃ! いざ、噴水へ参ろうか!」
ここの公園の噴水を近くで見るのって、久しぶりかも。神崎護衛の知り合いだけが知っている、花火を見る絶好のスポット。私達ってずるいよねぇ。
「後何分かなぁ」
「八時まで一分前だぜ。つまり、後一分後ってこと」
きれいな噴水のベンチに座り、空を見上げてみる。ちょうど花火が見える方向に、三日月が見えた。
「すごくきれい」
「そうかぁ? 三日月なんて、満月には遠くおよばねぇよ」
まぁ、確かにそうかもね。
「残り五秒前!」
時真が公園の時計を見てカウントを始めた。
「四、三、二……」
大きな花火が上がる。
「カウントずれているじゃないの……」
「ご、ごめん」
花火が見られたから許しましょう。
「三日月と花火が重なって、更にきれいになったわね」
「おう。バッチリ写真も撮っておいたぞ。名付けて『線香月』だ」
「ネーミングセンスが悪い割に、良い名前かも」
そうやって会話をしている間も、ずっと空を見上げている私達。思えば、今までじっくりと空なんて見たことがなかったかな。毎日友達と笑って、勉強して、慧と喧嘩して。そればっかりの人生だけど、たまにはこうして空を見上げるのも悪くないかも。
「なぁ、美月」
妙に緊張した様子の時真。
「その……実は言っておきたいことがあるんだけど」
「何?」
「実は、す……」
「す?」
言いたいことがあるなら、さっさと言ってほしいなぁ。じれったい。
「す……すき焼き食おうぜ、今度!」
「別に良いけど、それだけ?」
すき焼きっておいしいよねぇ。慧と肉の取り合いばっかりしているっけ。
「ほ、他にもあるさ」
「なら早く言ってくれない?」
花火を見ながらそう言う。
「実は、す……スキーに行こうかなぁって思って」
さっきからどうでも良い話ばっかりじゃない。
「もう終わったなら、花火に集中したいんだけど」
私にそう言われて心を決めたのか、時真はいきなり立ちあがった。
「実は美月のことが好きです! 俺と付き合って下さい!」
「えぇ?」
私の口が、開いたまま閉まらない。
「おぉ、よくぞ言った、牧人!」
「えぇ?」
ぴかさんの店を手伝っているはずの夏雪と夜桜が現れた。
「どういうことか説明してほしいよね?」
夏雪にそう聞かれ、とりあえずうなずく。
「俺と夏雪が、牧人のために考えた告白計画だ」
「告白計画?」
もしかして、たまに仲間はずれな気がしていたのはこれのせい?
「お、俺が二人に頼んだんだよ……いろいろと」
「なるほどねぇ。大体読めたわよ。同じグループになれたのは、二人がクマに頼んだから?」
「姉さんの言うとおり」
浴衣はたぶん、私の好みを理解できている神崎護衛が買ったんでしょうね。時真が読んでいたあの本は、私に告白するための本だったってことか。いやぁ、分からなかった。
「それで、答えは?」
時真が緊張した顔で聞く。でも、安心しなさい。私の答えは既に決まっているんだから。
「残念だけど……」
私が言いかけると、時真の顔が一瞬にして暗くなった。
「私には断る理由がないの。ごめんね」
「じゃ、じゃあ……」
「付き合うのは良いけど、私の理想は高いわよ?」
暗い顔は一瞬にして、喜びの笑顔に変わった。
「神崎って奴を黙らせた男だ。理想に近いだろ!」
やっぱり、神崎護衛は大人しく引いたんだ。ストーカーがいなくなるのはうれしいけど……少し寂しいかな。
「うーん。私の理想はもっと高い」
「が、がっくし……」
時真には内緒だけど、実は理想なんてどうでも良いんだよね。蒼島先生みたいなことを言うけど、運命の出会いも悪くないと思う。
「でもさぁ、二人で本当に大丈夫かなぁ。僕、心配だよ」
「いや、大丈夫だ。あの空の三日月は、花火のおかげで一段ときれいに見えるだろ? 牧人と美月は、そんな風に支え合ってほしい」
「夜桜ったら……やっぱり天才ね!」
私は笑いながらそう言った。私が月で、時真が花火かな。
「おいおい、夜桜と付き合わないでくれよ?」
「どーでしょうねぇ」
私は笑いを堪えてそう言う。
「よせぇ、やめてくれぇ!」
まだ生まれてたったの十七年。人生はまだまだこれから。私は、友達がいて、勉強ができれば幸せになれると思って生きて来た。でも、誰かに隣で支えられて生きて行けば、更に幸せになれるかもしれない。
「冗談に決まっているでしょ。あの線香月に誓って、ずっと時真の隣にいてあげるから」
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