線香月 第1話

七月十八日

 私は現在ストーカーに悩まされ中である、ごく普通の高校三年生。
 おふざけはさておき、いつもと同じように学校のチャイムが鳴る。聞き慣れた昼休みの合図。昼休みと言えばお弁当。高校生活三年目にして、やっとのことで手作り弁当を持って来るまでに至った私。もっと早くに作れるようになりたかったなぁ。超イケメンな彼氏がいたら、やる気が出たと思うんだけど。
 一人でいろいろと考えていると、誰かが近づいて来た。
「姉(あね)さん。勉強手伝って下さい……」
 涙を浮かべながらやって来たのは、朱魏夏雪(あかぎ なつゆき)。普通の人が見たら、きっと女の子だと思っちゃう子。それが私の大親友。残念ながら、こんな彼氏はいらない。夏雪と二人で手をつなぎながら、ラブラブで歩く場面を想像してほしい。明らかに恋人には見えない。
「今日は、特に難しい問題なんて出なかったでしょ」
 私はそう言って、お弁当箱を取り出す。これこそが私の手作り弁当。野菜は一切入っておりません。お母さんから、『不健康になれるお弁当』って言われたけど気にしない。お弁当の蓋を開けると、今度は夜桜空(よざくら そら)が近づいて来た。
「俺が代わりに見てやる」
 夜桜は手作り弁当を片手に、夏雪のノートを勝手に読み始める。彼は夏雪と同じで、私の大親友。夏雪と違う点と言えば、出会いが夜桜の方が早いってことかな。成績は普通。ゲームの腕はピカイチ。何事にも動じないところ、尊敬しちゃいます。でも、彼氏にはしたくない。夜桜がゲーム機と私のどちらを優先するか、想像してほしい。私よりゲームを優先するのは間違いない。
「どうして僕ってこんなに馬鹿なのかなぁ」
 馬鹿って割には、試験で満点ばっかり取りますよね。夏雪の頭の中を一度だけ覗いてみたい。
「ったく、お前のノートは神か」
 夜桜がそう言ったから、私も見てみた。
 いつもながら、夏雪のノートは先生の大事な話をメモしてあったり、マーカーで分かりやすく塗ってあったり。隠れ天才って言うのかな。私の弟とそっくり。そう言えば、夏雪って弟とも仲が良いよね。まさか、弟の性格が移っちゃったのかな。中学生の時は無口でクールだったし。『俺になんか用か?』って感じで、人を寄せ付けなかったのに。
「うん。ノートは紙だよ」
「あぁ、そうだな」
 流石夜桜、夏雪のボケに微動だにしない。
「まぁ、夏雪は大丈夫よ」
 窓側の席に座って居眠りしている少年、時真牧人(ときま まきひと)を指差す。
「あっちは卒業すら危ういんだから」
 時真って人、元々は夏雪とトップの座を争う天才だったけど、現在はただのゲーマー。暇さえあればゲームして、先生にお呼び出しをくらう。成績も下がっちゃって、態度も悪い。正直、どうしてここまで不良になったんだろう。
ちなみに、時真『まきと』って呼ばれるのが嫌いらしい。理由は確か、回文になるからだっけ。
 時真を観察していると、担任の先生がやって来た。熊野五郎(くまのごろう)って名前だから、みんなクマって呼んでいる。愛情を込めてね。残念なことに、私は天然パーマを見るとイライラする。
「おい時真。朝テスト、また0点じゃないか。ちょっと職員室で話をしよう」
「何でイカとタコは足があんなにあるんだ……」
 意味不明な発言をし、のんきにお弁当箱を取り出して食べ始める時真。クマが説教を始めても、適当にうなずくだけ。呆れます。
「あいつ、実は宇宙人なんじゃないかと思えて来た」
「夜桜、風邪でも引いたの?」
 私はそう言って、自分のお弁当を食べ進める。
「姉さんが勉強を教えてあげたら?」
 少しの沈黙の後、夏雪がふとそう言う。
「私? 無理よ。自分の受験勉強で精いっぱいだもん」
 お弁当箱に蓋をして、私は言った。味付けが薄かったかな。もっと練習しなくちゃ。
「ん……この前就職するって言ってなかったか?」
 夜桜め……まだ覚えていたか。
「ねぇ、夜桜君。今、何か言った?」
 得意の必殺技、『冷たい笑顔』はいつもながら効果抜群。
「いや、何も」
「牧人は卒業出来なかった時に、初めて現実を知ると思うよ」
 夏雪と同じことを考えていました。まったく。一度、親の顔を見てみたい。お父さんは毎日パチンコしていたりして。
「分かったか? 分かったなら、明日までにこの問題を解いて提出。超イケメソなクマ様からの特別な宿題だ」
 やっと説教が終わったのか、クマが教室から出て行った。あ、もうすぐ六限目だけど、クマはお弁当食べられたのかな。クマって、結構生徒のことは考えているんだよね。遅くまで生徒のために問題作っているもん。、
「あ、チャイム鳴るぞ」
 夜桜の言葉通り、チャイムが鳴った。クマが、お弁当を食べられなかったことに涙を浮かべながら戻って来た。ドントマインドです。

「みんな知っての通り、もうすぐ高校生活で最後の夏休みだ」
 六限目は、夏休みに関しての話で終わりそう。退屈で眠たくなっちゃう。
「受験目前の人や、受験せずに就職する人。まぁ、いろいろいるだろ」
「俺は大学行くぜぇ」
 時真が手を挙げて言った。周りのみんなが笑った。あの頭じゃあ、どの大学も受からないと思う。
「はい、スルー。それでだ、八月二十五日に、いつも通り近所の公園で祭があるんだが、今年はどうも資金が足りないらしい」
 それは残念でしたね。お祭りに参加したことがない私には、まったく関係のない話です。
「そこで、三年生は全員、お祭りの資金集めを手伝うことになった」
 その瞬間、みんなは一斉に声を上げた。当然、みんな怒った声。どうして三年生? ここは一年生に任せるべきじゃない? 受験生なのにぃ。
「一応これについてはまた明日話すから、今日のところはこれで勘弁。ホームルームはなし。チャイムが鳴るまでの三十分間、静かにしていろよ」
 クマはそう言うと、お弁当を片手に急いで教室を出て行った。ホームルームがないってことは、チャイムが鳴ったらすぐ帰って良いってことだよね。ラッキー。
「おもしろそう。僕、まだ生まれて一度だってお祭りで遊んだことないんだよ。資金集めして、豪華なお祭りにしようじゃないか」
「受験しないお前とは違うんだぞ、受験組は」
 夏雪と夜桜が、それぞれの思いを口にしながらやって来た。チャイムが鳴るまで静かにしている生徒なんて、私のクラスにはいない。それにしても、どうして私の机の周りに集合なのかな。女友達が最近寄りつかなくなった気がします。
「俺が思うに、夏雪がコスプレでもして募金箱を持てば、いくらでも手に入ると思うぞ」
「夜桜……それは良い考えね」
「二人ともひどいよ」
 だって、本当に女の子そっくりなんだもん。メイド服とか似合いそうね。着てほしいなぁ。きっと、メイド服大好きな人達が何万円も募金箱に入れてくれるよ。
「あ、メイド服なら持っているよ。今度着てあげようか?」
「えっ」
 夜桜と私の声が重なった。ま、まさか、夏雪ってそういう趣味……。
「家で働いているメイドさんのだけど」
 な、何だ。そう言うことね。
「すまん。一瞬、お前がそういう奴なのかと思った」
「ごめん、私も」
 あぁ、びっくりした。大事な大親友を失くすところだった。
「い、いや、良いんだよ。僕は全然気にしてないから……」
 夏雪さん、嘘が下手ですよ。
「帰ろう、二人とも」
 チャイムが鳴ったから、さっさと帰り支度を済ませて二人に駆け寄る。
「あ、ごめん。急いで帰らないと駄目なんだ。妹が取材で忙しいから、今日だけ夕食係になっちゃって……」
「ほへぇ、取材かぁ」
 夏雪の妹は、売れっ子の小説家さん。私達みたいな一般市民とは、住む世界が違うわけ。
 そう言えば、夏雪のお父様って、一体どんな仕事しているのかな。忙しいってことだけは分かる。兄弟四人で家事を分担するくらいだもん。私の家とは大違い。ま、まぁ、私だってホットケーキくらいは作れますとも。いつも生焼けになるけど。
「それじゃあ、夜桜――」
「俺は明日発売のゲームのために並ぶ」
 風のように飛び出して行った夜桜。親友より、ゲームの方が大事だと言うのね……。
「遅刻しても知らないんだから!」
 走り去る夜桜に、そう叫ぶ。
「明日は姉さんの家に遊びに行くよ」
「ごめん、明日は無理。いつも通り夏雪の家でお願い」
 明日は弟の友達が来るらしいんだよね。一体どんな人だろう。
「分かった」
 夏雪は、うなずいて教室から出て行った。夜桜の家はアパートだから、あまり騒ぐと怒られちゃう。だから、普段は夏雪の家。たまに私の家。
「あぁ、神様。どうか暇そうな友達を下さい」
 一人でそう呟いて、私も教室を出ようとする。その時、いきなり目の前に人が現れた。立っていたのは、疑いようもなく時真だ。
「いきなり目の前に立っちゃ駄目って法律、知らないの?」
「ねぇよ、そんなの」
 夏雪にはこのボケ通じるのに。ばーか。
「で、何?」
「いやぁ……あのさ、美月だから言うんだけど……勉強教えてほしいなぁって思って」
 私の成績が『普通』だと知っていて聞いているのかしら、この人は。
「教えてほしい時は、まず声をかけてもらわないと。目の前に立たれたらびっくりしちゃうよ」
「あ、そっか」
 そう言って、一旦教室の中に戻り、何事もなかったかのようにこっちに近付いて来る。
「あ、美月(みづき)。勉強教えて」
「うん、良い……わけないでしょ!」
 こ、こいつ、何かがおかしい。
「まきと君、頭大丈夫?」
「俺はまきとじゃねぇ。まきひとだ。こっちがせっかく頼んだのに、その言い方はないだろぉ」
 神様、こんな友達はほしくありません。
「私は教えてあげる側よ。そっちこそ、その言い方はないでしょ」
「教えて下さいよぉ、美月さん」
 もうやだ。泣きたい。
「私ね、これから家に帰って勉強するの。受験生はすごく忙しいから」
「あれ、この前就職するって言ってなか――」
「それは禁句よ、あほんだら!」
 私は教室を飛び出した。絶対に有名な大学に入ってやる。
「話の途中に帰っちゃ駄目って法律知らないのか、こんにゃろー」
「そんな法律ありませーん」
 振り返らずに返事をして、そのまま帰った。そもそも、どうして私が教えないといけないのよ。教室にはまだいくらでも人が残っていたのに。例えば、加藤光梨(かとう ひかり)様、通称ぴかさんとか、ぴかさんとか、ぴかさんとかぴかさんとか……ぴかさんって教え上手だし。

「で、姉(ねえ)さんはそのまま帰ったの?」
 家に帰ると、私は部屋で勉強をしていた弟、慧(さとし)に、さっきのことを話した。慧は中学二年生。学校ではムードメーカーとして有名で、成績が学年トップとしても有名。
「だって、私が教えなきゃいけない理由がないもん」
「駄目だなぁ。せっかく不良が正義に目覚めるチャンスだったのに」
 その可能性は限りなく低いと思う。
「はいはい。この話はもう終了」
「逃げたな……あ、そうだ。明日のこと、ちゃんと覚えている?」
 どうにか話題が変わってくれた。
「うん、友達のことだよね。どんな子なの?」
「礼儀正しい子だよ」
 それだけ言われても分からないですけど。
「男の子? 女の子?」
「男だよ。同じクラスの子で、気まぐれに話しかけたら仲良くなった」
 慧が女の子を家に連れて来るはずないもんね。
「ちなみに私、明日は家にいな――」
「あーもぉ、うるさいなぁ。勉強中なんだけど」
 慧は、そう言って机に向き直った。話し始めたのはあんたでしょうに。
「そんなこと言われたって、二人で一部屋なんだから、しょうがないじゃん」
 夏雪の家みたいに、いくらでも部屋が余っている家じゃないもん。大人になったら、絶対広い家に住むんだから。
「由子(ゆうこ)、お客さんよ」
 一階からお母さんの声が聞こえた。
「はーい。今行く」
 今は夕方の五時。一体誰だろう。夏雪か夜桜かな。そう思いながら、私は玄関に向かった。
「由子ったら、彼氏でもできたの?」
 どういう意味だろう。お母さんは夜桜と夏雪の顔を知っているはずなのに。まさか……。
「ういーっす」
 時真の声を聞いて、私は静かに扉を閉めようとする。
「ちょ、ちょっと待てって。宿題教えて」
「どうしてそんなに教えてほしいのよ。それに、どうやってここが分かったの?」
 時真が手に持っているのは、間違いなくクマからの特別な宿題。一応、やる気はあるらしい。
「いや、後を追ったらここに着いたんだ」
「それは微笑みながら言うことじゃないって」
 まるで私のストーカーみたい。いや、ストーカーの方がもっとひどいんだけどね。
「とにかく、今すぐに帰らないと警察呼ぶからね。このあほんだら」
 こっちはそろそろ勉強しようと思っていたところなのに。やる気が一気に下がったじゃん。
「え、俺が不審者だってぇ?」
 涙目になる時真。
「わお、姉さん。彼氏できたの?」
 慧まで来たぁ。
「あいつ、美月の弟かぁ?」
「うるさーい!」
 私は、そう言って扉を閉めようとする。それでも時真は粘った。
「風邪気味のかわいそうな少年を追い出すつもりかぁ」
「風邪なら治してから来なさいよ」
「じゃ、じゃあ、マスクするぞ!」
 ここは奥の手を使うしかない。
「ストーカー、ちょっとこの人追い出して」
 私が家の外に向かってそう叫ぶと、すぐさまストーカーさんが現れてくれた。
「お、おいおいおい。ちょ、どうなってんだよぉ」
 ストーカーに引きずられながら、時真はそう叫んだ。大丈夫、殴られることは……たぶんないと思う。確信はありません。
「姉さん。最近ストーカーの使い方上手くなったよね」
「そこはほめるところじゃないから」
「由子ったら、本当にモテモテよね」
「お母さんまでぇ!」